
大相撲の元力士が今春から、給食調理員として横浜市立小学校で働いている。憧れの関取を追って入門したが、現役時代はけがに泣かされた。苦闘の中で通信制高校を卒業し、市の技能職員にも合格。引退後、人生の再スタートをふるさとで切った。勝負に関係なく、声援を送り続けてくれた地元に恩を返そうと、心に決めている。
「おいしい給食、いただきます」
市立権太坂小学校(同市保土ケ谷区)の給食室。183センチ、107キロの体をかがませて、児童らに食器を手渡す天草一晟(いっせい)さん(23)の姿があった。
この日はキャベツの甘酢あえを担当。大相撲といえば、ちゃんこ料理だが、「衛生面やアレルギーへの配慮が全然違う。貪欲に学んでいきたい」と気を引き締める。
同市西区出身。豊真将(現立田川親方)に憧れ、15歳で同じ錣山(しころやま)部屋に入門した。現役時代のしこ名は横浜から一字取った「濱天聖」。活躍して地元を代表する力士になるのが目標だった。
2011年夏場所で初土俵を踏んだが、勝ちに恵まれなかった。初の勝ち越しは番付表に載ってから1年後。序二段44枚目まで上がったが、稽古中に左膝前十字靱帯(じんたい)を断裂した。思うように活躍できず、休場とけがを繰り返した。
「以前から漠然と、『勉強したい』との思いがあった」と天草さん。日本相撲協会が提携する通信制高校への入学を考え、錣山親方に相談した。部屋に前例はなかったが、親方に「面倒は見るから、必ず相撲も頑張れ、勉強も頑張れ」と背中を押され、16年4月に入学した。
だが約4カ月後、前十字靱帯を再び断裂。既に左膝を2度、手術していた。医師からは次に同じ場所を痛めれば、日常生活に影響すると告げられた。「そろそろ、次のことを考えないといけないのかな」と悟った。
父親にも勧められ、市技能職員を引退後の目標に据えた。ただ相撲と勉強の両立を支えてくれる親方との約束を守るため、高校卒業までは現役を続けると決めた。
稽古に勉強。どちらも手を抜かなかった。午前中に稽古、昼間に授業、夕方は自動車教習所に足を運び、合間の時間は技能職員採用試験のための勉強に使った。まげと着物姿で試験に臨み、今年1月に合格した。
あとは力士として結果を残すのみ。3勝3敗で迎えた春場所13日目。寄り切りで勝ち越しを決めた。取組後、親方から「8年間で、1番いい相撲だった」と声を掛けられた。
「悔しい気持ちはもちろんある。ただ自分だからこそできる生き方もあるのではないかなと思う」。相撲人生をそう振り返る天草さん。思えば現役時代、1番応援してくれたのは地元の人たちだった。好成績を残せば共に喜び、けがをすればいつも気遣ってくれた。「この街のために働けることが今、うれしい」。今度は自分が子どもたちにその恩を返していく。