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鉄道コラム 前照灯(296)
夕張を支えた最後の鉄道 炭鉱の男たちとともに

話題 | 神奈川新聞 | 2019年4月5日(金) 12:00

夕張へ向かう列車に、新夕張から乗り込もうとする客が大勢並んだ

 今年3月に北海道で廃線や駅が廃止となった地について3週にわたり書いてきた。最後は石勝線夕張支線。2016年に夕張市長自ら、JR北海道にバス路線を含む交通網見直しなどへの協力を条件に廃線を申し入れて話題となった。

 道内の鉄道は、石炭とともにあった。最初の官営鉄道は、幌内炭鉱と積み出し港の小樽を結んだ。優秀な石炭を産出した夕張には、夕張支線(かつての夕張線)のほか、夕張線登川支線、夕張鉄道、大夕張鉄道、北炭真谷地専用鉄道など多くの鉄路があった。それら多くは炭鉱閉山とともに役目を終えた。夕張線も、1981年の石勝線開通時に統合され、新夕張~夕張間は支線になった。


新夕張駅前に置かれた紅葉山(現新夕張)の駅名標

 3月10日、新夕張駅で一人のお年寄りとの出会った。「昔の写真がある」と、登川支線廃止時の様子などが分かる、鉄道や炭鉱に関する写真や新聞記事を披露してくれた。85歳。2代続けて炭鉱勤務。「ひびのない石炭が掘れると、きれいに磨いて保存した。大きな塊を博物館に納めたこともある」と、目を輝かせた。よい石炭を掘り続けてきた自負がにじむ。


夕張駅は、ホーム一面線路一線の小さな駅だった

 新夕張から夕張まで列車で30分ほど。さらにバスで夕張市石炭博物館に着くと、きれいに磨かれた石炭があった。あのおじいさんの納めたものか。

 夕張駅では、発車時に地元の方が黄色いハンカチで見送ってくれた。列車の中は満席。最後の賑わいが続いていた。(a)


夕張市石炭博物館に飾られた石炭には、彫刻を施されたものもあった

夕張駅から乗った時の整理券
 
 

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