一年の豊作と無病息災を願って食す「七草がゆ」に使われる七草のパック詰めが、スーパーなどの店頭をにぎわせている。7日の「七草の節句」を前に出荷のピークを迎えており、生産農家でつくる「横浜七草研究会」(横浜市神奈川区)代表の平本英一さん(46)は「七草がゆを味わいながら、習わしも継いでもらえれば」と話している。
農業を代々営んでいる平本さんは常時10種類以上の農作物を栽培するが、「七草が一番難しい」と言う。生育しやすいように品種改良されているわけではなく、天候に左右されやすい。さらに、年末年始の短期間での出荷作業が求められるため、繁忙期には200人ほどのアルバイトが必要だ。「天候と人集めの両方が整って初めて仕事になる」と語る。
「正月後の商材として七草のパック詰めをやってみないか」。市場関係者からの誘いがきっかけだった。「冬の端境期対策にもなる」と、平本さんの父を含む農家7軒で、1982年に同研究会を設立。栽培マニュアルはなく、全ては手探りで始めた。
「スズナ(カブ)とスズシロ(ダイコン)以外は野草のため栽培用の種はなく、田んぼのあぜ道などで自生しているものを採り歩いた」といい、500パックを市場や近隣スーパーに出荷。全国初の七草パックだったが、ゆっくりできるはずの年末年始が急に忙しくなり、当時10歳だった平本さんは「休みがなくなり、うれしくなかった」と振り返る。
一方、主婦たちには好評だった。一度に七草全てがそろう手軽さが評判となり、全国チェーンのスーパーからも注文を受けるようになった。研究会のメンバーは安定的に生産しようと、前年に採取した七草の種からの栽培を開始。それぞれ成長するスピードが異なるため、種まきの時期をずらすなど試行錯誤を重ねながら、徐々に栽培方法を確立。健康ブームも後押しし、最盛期では40万パックを出荷した。
その後、高齢化などで5軒の農家が退会。現在は、30歳のころに父から受け継いだ平本さんと加藤辰彦さん(66)の2軒となったが、全国のスーパーや市場から30万パック超の注文が寄せられる。
「七種全ての栽培が同時にうまくいったことは一度もない。一昨年は台風で十分に育たなかったと思ったら、昨年は猛暑で育ち過ぎた」と振り返る平本さん。それでも今期の出荷は順調に進んでおり、「苦労した分だけ達成感がある。だからこそ40年近くも続けられてきた」と笑顔で話した。