原爆の日に合わせ、広島と長崎に届ける鶴を市民と一緒に折ろうと、原爆被爆者でつくる「川崎市折鶴の会」が多摩区役所で開いてきた交流会が10年目を迎えた。会員の高齢化が進む中、幅広い世代に体験を語り継ぐことができる貴重な場となっており、今年も12、13日の2日間で延べ約300人が参加。メンバーは「どんなきっかけでもいい。気軽に足を運んでもらい、鶴を折りながら平和について考える機会となるよう今後も続けていきたい」と前を向く。
交流会は毎年6月、同区役所の1階ロビーで開かれる。長机と椅子が並び、糸通しをしてつなげた色とりどりの折り鶴と、「一羽の鶴があなたの平和の心を運びます」と書かれたポスターが来庁者の目にとまる。子ども連れの若い母親やお年寄り、外国籍の市民などさまざまな人が関心を寄せ、折り紙を手に取る。
「ただ鶴の折り方を習いたいという人もいるが、きっかけは何でもいい」と語るのは会員の一人で、2歳の時に長崎で被爆した中釜眞妹子(ますこ)さん(73)=同市宮前区。「子ども時代は青あざができるたびに原爆症ではないかと心配した。子どもを産むのも不安だった。鶴を折りながら被爆の話や、平和を願う活動の意義を伝えている」
交流会で折る鶴のほか、市内の老人ホームや団地、個人、協力団体と合わせ、毎年7千~8千羽を広島と長崎に送ってきた。会長の森政忠雄さん(83)=同市麻生区=は仲間と共に広島市立中学校で講演も行ってきたが、高齢化により今年は森政さん1人で今月2日に出席した。10年前には200人ほどいた会員も半数に減り、交流会に参加できるメンバーも10人程度に限られる。
それでも、「活動を続けていくうちに浸透し、毎年来てくれるリピーターもいる。会場では声を掛けなくても、自発的に参加してくれる市民が増えた」と森政さん。今年は計6千羽を目標に届ける予定だ。「原爆の悲惨さだけでなく、投下に至るまでの背景も含めた歴史を多くの人に伝えたい。それができる場の一つとして、交流会を大事にしていきたい」