古代日本の律令国は、畿内の都に近いほうから「上」「下」や「前」「後」と名付けられていた。それからすると、房総半島の北部が「下総」、南部が「上総」となったのは一見、逆のようにも思える。
これは古代の東海道が、相模国の走水から、まず浦賀水道を渡って房総半島に上陸するルートを取っていたからだという。大昔の東京湾の奥は、かつての利根川をはじめとする大河が入り交じって流れ込み、湿地が広がっていたそうだから、旅人にとっては海路の方が楽な道だったのかもしれない。
今も浦賀水道を東京湾フェリーで渡ると、あらためて、こんなに近かったのか、と思う。横須賀・久里浜のターミナルを離れた船内で30分ものんびりしていると、対岸に鋸山がすぐ迫ってくる。せかせかと急いで大型駅を歩く日常からしてみれば、こんな近場で得られる旅情には、ちょっとしたお得感がある。
千葉側の金谷ターミナルから数分歩くと、JR内房線の浜金谷駅がある。電車は単線の線路を、ここでものんびりと南下し、館山からは東へ進んでいく。千倉を過ぎれば車窓には太平洋が広がるから、もう雰囲気は外房だ。
内房線が外房線と連絡する安房鴨川の一つ手前に、太海駅がある。昔ながらの古い木造駅舎が残る。細い路地を下っていくと、太海の海岸が広がる。
太海は漫画家、つげ義春氏の傑作「ねじ式」(1968年)のモデルとなった地としても名高い。「イシャはどこだ!」…。数々の印象深い台詞や、筋ともつかぬ筋に沿って、夢から題材を取ったとされる物語が、たゆたうように流れていく前衛作品だ。
民家の間から蒸気機関車が飛び出してくるシーンが、この作品の一コマにある。漁港の一角に、そのモデルとなった場所もあった。近づいてみると、まさにその漫画のシーンが、壁に張ってある。
不条理に彩られた“つげワールド”には、「のんびり」という表現が適しているかどうかは分からない。荒波に洗われながら黒潮の恵みに挑む漁港だって、そうだ。それでもこの南房総は、時計を見ないで歩くのがいい。古代から今に至るまで、神奈川とは指呼の間なのだから。