この季節は、滑るという言葉が身近になる。第1志望だった札幌の大学を滑ってから40年近くがたつ。駅から近い受験場までの道、何度も滑って転んだ。試験前日に大倉山のジャンプ大会を見に行ったのだから結果は予想できた。
真冬の北海道を走る鉄道に惚れ、住みたくなった。それが受験のきっかけ。鉄道ファンだった高校生の夢は叶わぬまま。白髪が増えてから温泉巡りで訪れる。久しぶりの釧網本線・浜小清水には、白い雪面にレールが延びる冬の鉄路があった。
荒波のオホーツク海、流氷が海岸に迫る。この路線は網走から釧路川など数々の絶景を望み釧路に至る。いまあることは奇跡だろう。思い出深い湧紋線、名寄線、標津線、池北線は廃線の憂き目に遭った。
釧網本線の列車にお目にかかるのはまれ。車の天下である。ためらいながらも移動には車を選んだ。道はスケートリンクのように凍っている。下り坂でブレーキを作動させれば、運転手の意思と関係なく滑りに滑る。それが踏切の手前なら想像通りの恐怖が襲う。
鉄道から足を洗ったのに鉄道コラムを書く。文章が滑るのはつらい。覚えが悪く、長い時間、鍛錬と反省を繰り返しても進歩はわずか。拙文で悪いかと開き直る。滑ってこその人生さ、なんて言えたらいい。(O)