足尾の山に小さな「記念館」がある。わたらせ渓谷鉄道の終着駅、間藤の駅舎の片隅を利用した。国鉄全線を乗った故宮脇俊三さんの名著「時刻表2万キロ」(河出文庫)。その終着点が間藤だ。遺稿や雑誌企画が小学校の教室のように素朴に張ってある。
公害の原点、古河鉱業精錬所が亜硫酸ガスを放った。荒涼とした山々が取り残された。まちは栄え、滅びてゆく。近代化の終焉を象徴する駅であろう。著書には続きがある。足尾線を最後に旅を休止した宮脇さん。昭和52年12月、気仙沼線開通でわく三陸の志津川駅に降りた。悲願80年の駅を町民が埋め尽くした。何百もの風船が放たれた。
それから三十数年、3.11東日本大震災後の志津川駅をわたしは訪れた。いまだ、がれきの中だった。遠く望む青い海まで続く荒野で、重機が暮らしの残骸を片付けた。
大津波を知り真っ先に思い出したのは三陸鉄道沿線の風景だ。入り組んだ地形の奥に小さな漁村が点在した。へき地という言葉がふさわしくない美しさを記憶している。
岩手の田野畑村は三陸鉄道を大切にした。宮沢賢治の童話にちなむ駅名を付けた。高架駅も集落も流されたカルボナード・島越。駅名の由来を告げる賢治の詩碑は残った。鉄道は時代や人の記憶を乗せ走り続ける。(O)