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横浜みなと新聞
鉄道開業150年 みなとみらいに残る「汽車道」歩く

話題 | 神奈川新聞 | 2022年2月28日(月) 16:50

横浜港駅に停車する機関車に乗ってはしゃぐ子どもたち=1961年11月(古い写真はすべて本社報道写真アーカイブズから)

 日本で初めての鉄道が1872年(明治5)年、新橋─横浜間に開業してから今年で150年を迎えた。

 全国に広がっていく鉄道網と船の交通網をつなげたのが、明治期に横浜港周辺に整備された貨物線「臨港線」だった。

 貨物輸送の主役が鉄道から自動車に変わるとともに廃線となったが、線路跡に残る遊歩道「汽車道」を歩くと、機関車が活躍したかつての光景を思い起こすことができる。

休憩場所として親しまれている横浜港駅のプラットホーム跡

 臨港線は1911(明治44)年、初代横浜駅(桜木町駅隣接の東横浜貨物駅)から、造成されたばかりの新港ふ頭の横浜港(みなと)駅(横浜港荷扱い所)まで開通した。

 多くの貨物を運ぶだけではなく、北米を結ぶ貨客船が接岸すると、東京駅から客船に連絡する列車「ボートトレイン」が乗船客や見送りの人たちを乗せて往復した。

 現在、赤レンガ倉庫のそばにはボートトレインが停車した横浜港駅のプラットホーム跡が保存されており、今も休憩所として多くの人に親しまれている。

蒸気機関車の引退を記念し東京~横浜港間の臨港線を走った列車。撮影場所は現在の汽車道=1970年10月10日

 JR桜木町駅周辺から複合商業施設「横浜ワールドポーターズ」間に整備されている汽車道も、かつては臨港線が走っていた。

 京浜工業地帯の発展とともに、臨港線の貨物列車網は拡充されていった。53年から山下ふ頭の埋め立てが始まると、新港ふ頭との間をつなぐ線路の整備が進められ、65年には山下公園内を高架でつなぐ路線が開通した。

臨港線の廃線跡に整備された現在の汽車道

なぜ廃線になったのか

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