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3・11東日本大震災10年
故郷の恵み、一杯に込めて 女川の魚介、川崎でラーメンに

話題 | 神奈川新聞 | 2021年3月31日(水) 17:00

ラーメンに込めた女川への思いを語る横瀬さん(中央)=川崎市中原区

 「ふる里の海の恵みをいただき、つながりを大切にしていきたい」。東日本大震災の津波で甚大な被害を受けた宮城県女川町を食で応援しようと、川崎市中原区新城(しんじょう)で「麺匠(めんしょう) 藩次郎(はんじろう)」を営む横瀬徹さん(38)は、女川の魚介を使ったラーメンに情熱を注ぎ続ける。コロナ禍で苦境に直面しながらも、決して前を向くことを忘れない。被災地からもらった勇気と笑顔を一杯に詰めて届けるために─。

 夢を実現しようと神奈川に来たのは20歳前。11歳まで住んだ女川で会社を営む父の背中を見て、「従業員が成長できる組織の経営者になりたい」と思い続けていた。

 横須賀や茅ケ崎を転々とし、貧しさから脱するために昼は大工、夜はバーや居酒屋で働いた。客が幸せそうに帰る飲食店の魅力に引かれ、2010年に元住吉駅近くで居酒屋を開いた。

 11年3月11日。自宅で激しい揺れに襲われた。家族は、友人は…。不安に駆られ、車に水や炊き出し用の食材などを積んで東北に向かった。

 2日ほど走ってたどり着いた女川で目にしたのは、津波で流された建物や街中に横たわる遺体の山。「見るも無残」な光景が広がっていた。会社の屋上に逃げて無事だった父とは再会することができ、「生きろってことなんじゃないか。まだ死ねないんだ」と伝えた。

 父と訪ね歩いた遺体安置所で約300人の遺体を確かめながら、「嘔吐(おうと)して泣いた。臭いのせいか、悲しいからか分からないけど涙が出た」。実家は被害を免れたが、海の近くに住む叔父や叔母、祖父母の兄弟ら親戚の9割ほどを失った。

 約1年後、被災地に思いを寄せる中で「商売に合った方法がある」と「食べる支援」を決めた。女川産の魚介類の刺し身や浜焼きを店のメニューに加え、女川の漁師たちも「俺たちも魚を取る」と応じてくれた。

女川の魚介を使った人気の「海鮮白湯塩らーめん悠」

 16年、中原区新城に移した店で、それまで捨てていた魚の「アラ」に着目した。「栄養があり、おいしい。ごみじゃなくて食材だ」。スープを開発し19年8月、居酒屋の前にラーメン店「麺匠 藩次郎」を開いた。

 人気メニューは「海鮮白湯塩らーめん悠(はるか)」(税別880円)。マダラ、アンコウ、ヒラメなど15種以上の魚からだしを取り、のらぼう菜、コマツナといった川崎産の野菜も使う。

 当初は「同情を誘って商売している」など心ない言葉を投げ掛けられたが、「行動で示せばいい」と意に介さなかった。やがて「川崎と被災地をつないでいる」と言ってくれる人、うまくいかない時も「頑張れ」「一緒にやろう」と励ましてくれる人が現れた。

苦しいときこそ前を向き

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