他にはない神奈川のニュースを!神奈川新聞 カナロコ

  1. ホーム
  2. ニュース
  3. 政治・行政
  4. 松沢知事退任:県政8年を関係者どう見るか、側近や重鎮県議「評価は10年後」の声も/神奈川

松沢知事退任:県政8年を関係者どう見るか、側近や重鎮県議「評価は10年後」の声も/神奈川

政治・行政 | 神奈川新聞 | 2011年4月23日(土) 11:28

「本当に素晴らしい8年だった」と言い残し、松沢成文知事が22日、任期満了に伴って県庁を去った。県政史上最年少の公選知事として登場した松沢知事の県政はどうだったのか。県幹部として支えた人や、チェック役の県議会側に評価を聞いた。

1期目は自民など野党との関係が険悪だった。就任半年後から4年間、激動期に副知事を務めた尾高暉重さんは「若さ、運と愛嬌(あいきょう)、行動力が印象に残っている。好奇心も強く、朝から晩まで一生懸命よく働いた」。

「議会対応が難しい時期だった」と回顧した上で、「頑固な面はあったが、それはいいところ」。評価を問うと、「歴史の評価は辞めてから10年かかる。まだまだ早い」と話した。

松沢知事は県議時代、自民党に所属。が、離党や知事就任前は民主党の国会議員だったことも加わり、複雑な感情が渦巻いていた。

「近親憎悪みたいな形、不幸な形で始まってしまった」とは、自民党重鎮の村上健司さん。「相いれない部分もあったが、よくやっていた。立派な知事を8年間いただいた」とした上で、「行政を県民の意思に合うようにするのが議会の役目。そういう意味で、やりがいのある知事だった。端的な例が受動喫煙防止条例の修正協議だった」。

一方、「野心家で上昇志向が強かった。典型的な松下政経塾出身者だった。政治家は下へ下へと大衆に入り込むことが必要。上へ上へが強すぎる」と苦言を呈した。

「自身を政治家知事と言っていたが、行政の長である知事であってほしかった」と語るのは、公明党重鎮の益田駿さん。「政治家知事の側面が強いと政策のぶつけ合いになり、議会がチェック機能を果たせなくなる」と考えるからだ。

「政治家として見ているから突然新たな意見を言いだし、行政として齟齬(そご)が生じることがあった。下の行政マンから『知事が言ったからしようがない』とよく言われ、残念だった。行政の長として、二元代表制の相手方を説得する姿勢に欠けていた」と指摘。

ただ「子ども手当への対応では地方の立場を主張し、行政の長になった」と思ったといい、「もっと早くからそうあってほしかった」と話した。

最後は、知事特別秘書として県庁に入り、松沢知事を支えた今岡又彦さん。

思い起こしたのは、1年前の大相撲藤沢場所での献血キャンペーン。日本赤十字社神奈川県支部長でもある松沢知事は、妻とともに献血。「ここまでやってくれる知事はいない。神奈川はいいですね」と日赤側から言われたという。

「休みを返上し、県産品をPRしたり、イベントに出席したり、本当によく働いた。最初はパフォーマンスとよく言われたが、やり続けていると、そんな批判はなくなった。最後の最後まで県内をくまなく回り、情熱的に働いた。知事像を変えた」と語った。

尾高さんはすでに退任。独特の存在感を示し、県政に彩りを添えてきた村上、益田、今岡の3氏もこの春、県政を去る。

【】

 
 

献血に関するその他のニュース

政治・行政に関するその他のニュース

PR
PR
PR

[[ item.field_textarea_subtitle ]][[item.title]]

アクセスランキング