自民党でも民主党でもない「第三極」が岐路に立つ。県内議員が中心となり、第三極の先駆けとして一時ブームを起こしたみんなの党は、解党から28日で1年となる。党首の強烈な個性と改革色を前面に伸長したが、路線対立の末に消滅への道をたどり、系譜に連なる諸政党も自民1強の中で埋没する。第三極の再構築を探る動きもあるが、「二極化が進む」との見方はかつての所属議員の間からも出ている。
「もう第三極をつくる流れにはならない。自民と非自民の二極化が進むだろう」-。みんなで幹事長を務めた、維新の党の江田憲司衆院議員は、自身が歩んできた第三極の限界を示唆。枝分かれした野党は早晩、政権への距離感で旗幟(きし)を鮮明にするよう迫られる、とみる。
野党にとって、自民に対抗する勢力の結集は命題。江田氏は、安全保障関連法の採決で賛成に回った野党を「自民に行けばいい。われわれはライバル政党をつくる」と突き放す。みんな解党を経験した複数の県内議員も「第三極であり続けようとの守りの姿勢では、いずれ瓦解(がかい)する」と話す。
個人商店
「組織に依拠せず、政策実現を目指した実験政党だった。当時主張した経済政策が政権に取り入れられており、足跡は残した」。みんな解党時の代表で、無所属の浅尾慶一郎衆院議員は5年余りの歩みを総括する。
一方で“創業者”の言動が党勢に直結する第三極には常に「個人商店」との揶揄(やゆ)が付きまとってきた。
「みんななら渡辺喜美氏、維新なら橋下徹氏。創業者の人気に負うところが大きく、その人次第で伸長も分裂もする」。みんな解党後は無所属の中西健治参院議員は「キャスチングボートを握るのが理想だが、衆参とも自民1強で立ち位置がはっきりしない」と、低迷の要因を指摘する。