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集団的自衛権を考える(15)72年政府見解で公明歩み寄り 識者に問う

政治・行政 | 神奈川新聞 | 2014年6月14日(土) 09:35

憲法解釈変更による集団的自衛権行使の容認をめぐり自民、公明両党の協議がヤマ場を迎えている。1972年の政府見解を根拠に自民が早期の閣議決定を迫れば、慎重姿勢だった公明もやはりその見解を引用した案を持ち出し、歩み寄りの構えをみせる。では、その政府見解の援用に問題はないのか。公明はこのまま閣議決定に向かうのか。識者2人に聞いた。

■「憲法無視」と同義だ 阪田雅裕さん(元内閣法制局長官)

1972年見解は、外国から武力攻撃があった場合に反撃する個別的自衛権を認めているという趣旨のものだ。自国が攻撃を受けていない状況では武力行使はできないと説明している。他国が受けた攻撃にそろって反撃する集団的自衛権の行使容認に援用することなどできない。

そもそも解釈は全体で判断すべきなのに、政府、自民党は都合のいい部分だけ引用し、正反対の結論を導いている。

自国が攻められている状況と他国が武力攻撃を受けている状況は質が全く異なるように、個別的自衛権と集団的自衛権の距離はとても大きい。整合性を取るには新しい論理が必要だ。例えば「憲法は無視してもいい」とか。そうでも言わない限り、集団的自衛権は認められない。

確認しておくべきは、日本は9条によって交戦権を持っていないということだ。

72年見解で認めている個別的自衛権、つまり日本が侵略を受けたときは実力でその攻撃を排除できるというのは、いわば正当防衛権。交戦権がないのだから、他国に攻め入って占領することはできないし、自衛隊は攻撃的な武器を持てない。それでいて他国を守るために集団的自衛権を行使するなど、それ自体が“漫画”の世界だ。

公明党の言う「国民の権利を根底から覆す事態」もどんな状況を指しているのかもイメージできない。日本が攻撃を受けていないのに「根底から覆される」とは、どういう事態のことなのか。

このように小手先の理屈を持ち出しても交戦権をどうするのかという疑問は解消されない。

安全保障環境が変わり、集団的自衛権の行使が必要と言うのなら、堂々と憲法改正の発議をすればいい。自衛隊の位置付けや武力行使の範囲を明確に9条に書けばいい。それをやろうとするのが政治の役割ではないか。改正国民投票法も成立し、手続きは整備されたのだから。

国の根幹に関わる問題を与党協議で決めようとするなど、それこそ国民不在だ。いまの政治状況は議会制民主主義、統治システムとして異様だ。

■容認は国民への裏切り 森田実さん(政治評論家)

公明党は一貫して集団的自衛権は行使できないというこれまでの解釈を変える必要はない、変えるなら憲法改正が必要で、国民的議論で決めるべきだと主張してきた。

憲法の問題である以上、公明だけを説得し、閣議決定で済ませていいテーマではない。

それを自民党のプレッシャーがあったから、あるいは米国に言われたからという、理由にならない理由で転換することはできないはずだ。

そもそも自公の連立の約束には集団的自衛権のことは書かれていない。いわば新しい提案だ。押し通そうというなら、時間を置くとか、連立を自ら解消して自民単独でやるとか、他党と組むとか、普通はけじめをつける。それを細かな議論に持ち込んで「限定の限定でいいから、集団的自衛権を認めてくれ」と執拗(しつよう)に迫る。このやり口はちょっと異常だ。

安倍首相が信念で集団的自衛権の行使容認をやりたければ、自分の責任でやるべきだ。それを公明に責任をかぶせ、分担させる。それは政治家の生き方として問題がある。

要は、今国会で行使容認しろと要請してきている米国を取るか公明を取るかという話だ。安倍首相は米国を取ることに踏み切った。自分だけの責任にしたくないから、何が何でも公明を巻き込もうとしている。

集団的自衛権というのは他の国のために戦争をするということだ。今までは自分の国のためだけに武力を行使することになっていた。他の国のために武力を使うようになるということは、限定しようがしまいが、政治的には大敗北だ。「少しなら悪いことをしても良いだろう」という論理は、政治では通用しない。

公明の中に限定容認を受け入れていいという人がいるのは事実。だが、このまま行使容認でまとまると見るのは早計だろう。受け入れれば、国民を裏切ることになる。圧力に屈したということになれば、世間の信用を失い、政党として成り立たなくなる。党がつぶれて、おしまいになる。

■72年の政府見解要旨■

憲法は、第9条において戦争を放棄し、戦力の保持を禁止しているが、前文において「全世界の国民が平和のうちに生存する権利を有する」ことを確認し、第13条において「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、国政の上で、最大の尊重を必要とする」旨を定めていることからも、わが国が自らの存立を全うし国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らかで、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。

しかし、平和主義をその基本原則とする憲法が、自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであって、それは、あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るためのやむを得ない措置としてはじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきものである。

そうだとすれば、わが憲法の下で武力行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない。

■限定容認の政府・自民党案と公明党案■

政府・自民党案は、72年政府見解で示す「自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置」に「必要最小限度の範囲」であれば集団的自衛権も含まれるとするもの。従来の解釈で「自衛の措置」は、日本が直接武力攻撃された場合に反撃する個別的自衛権を意味してきたが、案では日本が直接攻撃されていなくても密接な関係にある国が攻撃された際、加勢して反撃することができるようになる。

公明党案も72年見解から引用し、「国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処」する場合に限り、集団的自衛権の行使が認められるとする。72年見解は武力行使は「必要最小限度の範囲」で容認され、「他国に加えられた武力攻撃を阻止することを内容とする集団的自衛権の行使は憲法上、許されない」としており、従来の見解を転換する点で政府・自民党案と変わりない。

【神奈川新聞】

 
 

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