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集団的自衛権を考える(6) 「政治が法をねじ伏せる」 学習院大・青井未帆教授

政治・行政 | 神奈川新聞 | 2014年5月10日(土) 11:07

学習院大教授・青井未帆さん
学習院大教授・青井未帆さん

憲法解釈の見直しによる集団的自衛権の行使容認をめぐる議論で、論拠としてにわかに浮上した砂川事件の最高裁判決と限定容認論。自民党内の慎重論を抑え、連立を組む公明党の理解を得たい思惑の中で出てきたものだが、解釈改憲に異を唱える学習院大教授の青井未帆さんは変わらず警鐘を鳴らす。「政治が法をねじ伏せようとしている」。一層鮮明になる立憲主義の危機を、そこにみている。

41歳、若き憲法学者は近著「憲法を守るのは誰か」(幻冬舎ルネッサンス新書)で筆致も柔らかに書く。

-憲法というのは、みなさんにとって、あまりなじみのない法なのでしょうが、その果たす役割は重要です。「国家権力」という巨大な権力をコントロールし、国民一人ひとりが生きたいように生きることができるよう、自由を守ってきています。私はこの憲法のそうした役割やものの見方を、色々な意味で、とても魅力的だと思っています。-

初版発行から10カ月余、前書きでそうつづった立憲主義の危機はいよいよ深まっていると考える。

「法に従わないといけないという力学が権力者の間で弱まり、法の縛りから逃れたいという機運が広がっている」

集団的自衛権の行使容認に道を開きたい自民党からひねり出された「珍説」に、為政者たちのその強い意志を感じるからだ。

集団的自衛権の行使が可能とする根拠に自民党の高村正彦副総裁が持ち出した砂川事件判決の解釈は「まさに青天の霹靂(へきれき)だった」。

戦力不保持を定めた9条があっても「わが国が存立を全うするために必要な自衛のための措置を取り得る」とし、米軍の駐留を合憲と判断した1959年の最高裁判決。そこから「必要最小限度の措置であれば、集団的自衛権も排除されない」という解釈を唱える高村氏だが、「必要な自衛措置とは個別的自衛権を指していると理解されてきた。聞いたことのない解釈で、憲法のどの教科書にも載っていない」。

その解釈を援用し、他国領域での行使を禁じるなど限定した形で行使を容認するとする限定容認論。

無理が通れば、道理が引っ込む-。

そんな故事を引き、私たちはいま、権力の暴走を目の当たりにしている、と警鐘を鳴らす。

■力ずくの解釈

砂川判決の解釈に青井さんがのぞき見るのが、「質的概念の量的概念への読み替え」だ。

自衛権は、個別的自衛権と集団的自衛権に分けられる。

自国が攻撃された場合、対処するために発動するのが個別的自衛権。政府見解では、その行使は自衛のための必要最小限度の範囲内で憲法上認められている、とされている。

一方、同盟国が攻撃された場合、自国が直接攻められていないにもかかわらず、反撃に加勢するのが集団的自衛権。自国が攻撃されていないのだから行使はできないというのが、いまの憲法解釈だ。

自国が攻撃されているか否かという前提の問題、つまり、質的な概念として両者の間には線引きがなされてきた。

ところが砂川判決解釈は、必要最小限度の範囲の中に含まれ得る集団的自衛権が一部存在する、との見解に立脚している。

「法の番人である内閣法制局の長官も、かつて少しならよいといった量的な縛りで集団的自衛権の行使を捉えているのではない、と明言していた。それを量的な概念であると力ずくで読み替えようとしている。一貫してきた解釈がやはり政治の力で揺らごうとしている」

憲法軽視の姿勢はここにも表れているのだった。

話はやはり、安倍晋三首相が目指す憲法解釈の変更という手法に戻る。

「権力を法で縛り、政治を法に従わせるという立憲主義の観点から、大きな過ちであり、為政者としてあるまじきもの。行使容認が必要だというのなら、憲法改正という正攻法によって問われるべきだ」

そこであらためて感じるのは9条の重みだ。

「国家は与えられた権限の範囲でしか行動できない。日本は9条があるおかげで70年近く戦争により人を殺したことがなかった、というのもそう。ほかの国ではこのような試みはなかった。でも、だからこそこの制限を何とかしたい、その最たるものである9条をなきものにしようという思いを為政者は抱く」

■培われた文化

国民主権の意味を熟知する。だから解釈改憲に異を唱える。

「決めるのはわれわれ国民。集団的自衛権をめぐる解釈の変更は実質的な憲法改正であり、それが内閣の一存で変えられるとなると、国民が熟考するというステップが飛ばされてしまう」

テレビ画面に映し出されたニュース映像を忘れない。イラク戦争後に捕らえられたサダム・フセインの死刑が執行され、米国民が「USA、USA」と歓喜の声を上げる姿を伝えていた。

一人の人間が死に、向けられたテレビカメラの前で快哉(かいさい)を叫ぶ。

「これは日本人の感覚とは違う」

武力による解決を前提とし、例えば市民が銃を持つことが認められている社会と、そうでない日本社会との差を感じた。

「世論調査では、武器輸出を原則禁止してきたことを支持する人が7割いる。日本は平和国家なはずなのに、人を殺すものを輸出していてはおかしいでしょう、と。大義や正義のために人が死ぬのは仕方のないことだとは考えない。これは、平和憲法の下で培われた文化ではないのか」

一方で、思う。

隣国の脅威の切迫性が語られ、集団的自衛権の行使容認の必要性が叫ばれる。必要なのだから解釈の変更も仕方がない、と流されそうになる空気はないか。

「危機の時代だからこそ、重しとして憲法による縛りが大切なのだと言わなければならない。それも、私たちの価値観や社会のありようを百八十度転換させる可能性があるものなのだから」

想像してみる。集団的自衛権の行使が可能になり、国外で若者の血が流れる。ひつぎに納められた亡きがらが無言の帰国を果たす。感情論が吹き荒れ、必要なのだから仕方がないのだという声はさらに大きくなり-。

「憲法やその理念を捨てるのは簡単だが、もう一度作り直すのはとても難しい」

立憲主義と権力者の相克をめぐる鍵は、私たちの手の中にある。その認識はいま、どれだけ共有されているだろうか。

◆砂川判決解釈と限定容認論 砂川事件は1957年に東京都砂川町(現立川市)の米軍基地拡張に反対するデモ隊が柵を壊して基地内に入り、7人が刑事特別法違反罪で起訴された事件。最高裁は59年12月に一審の無罪判決を破棄し、外国の軍隊が駐留しても9条の「戦力」には該当しないと判断。その上で個別的、集団的の明示なく「わが国が存立を全うするために必要な自衛のための措置を取り得ることは国家固有の権能の行使として当然」と指摘した。「日米安保条約のような高度の政治性を有するものが違憲かどうかは一見、極めて明白に違憲無効と判断されない限り、司法審査になじまない」との「統治行為論」を用いた判決として知られる。

これに対し、自民党の高村正彦副総裁は判決が認めた「自国の存立に必要な自衛のための措置」には集団的自衛権行使も含まれると主張。判決に基づき限定的な行使は許容されるとの論法で、安倍晋三首相や自民党は同判決を根拠に、他国領域での行使を禁じたり、行使できる事例を限定したりして容認する限定容認論を展開している。

◆あおい・みほ 1973年生まれ。成城大学法学部准教授などを経て2011年から現職。主な研究テーマは憲法上の権利の司法的救済、憲法9条論。横浜市港北区在住。

【神奈川新聞】

 
 

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