
清川村の大矢明夫(おおや・あきお)村長=同村煤ケ谷=が8日午後、病気のため自宅で死去した。71歳。同村出身。現在3期目で、任期満了が2月28日だった。通夜は15日午後6時から、告別式は16日午前10時半から、厚木市水引2の9の2、JAあつぎ第2グリーンホールで。喪主は妻恵美子(えみこ)さん、葬儀委員長は岸直保副村長。同村が9日明らかにした。
大矢村長は昨年1月ごろから体調が悪化。病名を公表していなかったが、通院や入退院を繰り返しながら執務に当たり、次期村長選(2月12日告示、17日投開票)に立候補しない意向を表明していた。8日から岸副村長が職務代理者を務めている。
大矢村長は1966年に同村に入庁し、助役などを経て2007年の村長選で初当選した。豊富な行政経験や人脈を生かし、道の駅の整備をはじめ、観光振興や移住・定住促進などに力を入れてきた。14年から2年半にわたり、県町村会会長も務めた。
黒岩祐治知事は9日、「任期を全うしようと懸命に闘病されてこられたところであり、残念でならない。ご生前のご功績を偲び、謹んで哀悼の意を表します」とするコメントを出した。
「村民第一」
8日に他界した清川村の大矢明夫村長は、同村の職員、助役から村長と、地域の発展に向け歩み続けてきた。「人生の先輩としての手本」「最後まで清川村に尽くした」-。近隣首長や村議会、職員から悼む声が上がった。
同村と愛甲郡を構成する愛川町の小野澤豊町長は大矢村長と35年来の付き合い。「互いに町と村の職員出身で愛甲郡の発展という目標の下、同じ道を歩んできた。それぞれ首長になってからも多くのことを教わり、兄貴のような存在だった。指導力があり情熱もすごかった。残念でならない」と語った。
隣接する厚木市の小林常良市長は「同時期に首長となり地域の発展に向け共に歩んできた同志。(2016年に始まった市と村の)消防広域化の実現など多くの苦労も共にしてきた」と回顧。「人生の先輩としても手本となる方だった。志半ばでの最期は無念と思う」とおもんぱかった。
村議会の川瀬正行議長は、大矢村長のレガシー(政治的遺産)に村立施設「きよかわくらし応援館」(煤ケ谷)の存在を挙げた。村から唯一のコンビニエンスストアが撤退後、ドラッグストアを誘致して昨年にオープンしたもので、「買い物弱者となっていた村民の暮らしを大きく変え、非常に喜ばれた。村民の暮らしを応援する名前通りの施設に出来上がった」と振り返った。
中堅の男性職員は大矢村長の政治姿勢について「本当によく村民と話をし、村民第一主義だった。最後まで清川村に尽くした人生だった」と語った。職員は「小さい村だけど小さいからこそやれることがある」と鼓舞する言葉を掛けられた生前を思い返し、続けた。「大矢村長が最も大事にした村民第一の精神は、これからも引き継いでいかないといけない」