「僕は革新の申し子」政権交代を見届け逝った葉山峻元藤沢市長/神奈川
政治・行政 | 神奈川新聞 | 2010年3月14日(日) 11:30
「僕は革新の申し子」―。13日亡くなった葉山峻・元藤沢市長は、周囲にそんな自負を披露していた。「太平洋ベルト革新自治体」とも評された全国首長軍団の一翼を担ったのは長洲一二知事ら県内5首長。その最後の「生き証人」である葉山氏が、政権交代を見届けて逝った。
長洲知事の秘書を長年務めた蔵隆司氏によると、葉山氏の自負は、自身がメーデーの5月1日生まれであったことが背景だ。「自宅は毎日、湘南の文化人や市民であふれ、映画の大島渚監督も常連だった。究極の市民公聴で、そういう意味でも革新的な人だった」と懐かしんだ。
「政策は良いが政局は苦手だな」。旧民主党の結成に協力した横田克巳・元神奈川ネットワーク運動顧問は、葉山氏がそうこぼしたことを思い出す。「とにかく藤沢が好きで国政へなかなか転出できなかった。もう2期、せめて1期早ければ、国政でももっと活躍できたと思う」と横田氏。「でもそのおかげでラポール藤沢(地域福祉施設)など大きな財産が地域に花開いた」と話した。
この日、民主党県連では代表選の立候補受け付けが行われたが、幹部らは葉山氏の突然の訃報(ふほう)に驚き、冥福を祈った。花上喜代志幹事長(横浜市議)は「長洲さんの『地方の時代』という言葉を地域で体現したのが葉山さん」としのんだ。
社民党県連合の高橋八一幹事長(藤沢市議)は「革新的な姿勢を貫くだけでなく、保守系が多数を占める市議会の声にも十分に耳を傾け安定した市政運営を行った」とその力量を振り返った。
◆「太平洋ベルト革新自治体」
1970年代を中心に、社会党など国政野党勢力が推した首長が太平洋沿岸の自治体で次々に誕生した。神奈川は長洲知事と葉山藤沢市長、飛鳥田一雄横浜市長、伊藤三郎川崎市長、正木千冬鎌倉市長。しかし当時は国政の政権交代にまではつながらなかった。
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