29日に告示される川崎市議選(定数60)には現職58人のうち、10人が出馬をせず、議員の職を退く。議長経験者の坂本茂さん(68)=自民、川崎区、7期=と、長きにわたり所属会派の団長を務めた市古映美さん(69)=共産、中原区、8期=が自らの議員生活を振り返り、後輩らへ託す思いを語った。
行政支える覚悟を
自民・坂本茂さん 議長経験
一本気を貫いた7期28年だった。議長として手掛けた議会効率化が象徴的だ。「行政の本分、市民サービスの向上につながるから」。長年の慣習も改める難題をまとめ上げた。
「落としどころ」「根回し」という言葉を嫌った。「結論ありきではなく、プロセスこそ大事。異なる意見を否定せず合意点を見いだす。与党の難しさであり、責任だ」。やはり議長時代、「立場があるから」と難色を示す周囲に構わず地元の朝鮮学校を訪ねた。「俺のけんか仲間がいるんだから、と。子どもの頃は大立ち回りも演じたが、今では腹を割って話せる間柄だ」。懐の広さは多様性のまち、川崎ならではの政治家像を体現していた。
「政治の犠牲は市民に向かう。どっちつかずでは責任は果たせない」と自らを律してきた。旧知の在日コリアン1世のハルモニ(おばあさん)が面会に訪ねてきた時のこと。「いつまで差別されなきゃいけないの」。市はレイシスト団体に公的施設の使用を許可し、ヘイトスピーチが吐かれた。「不許可にして訴えられても、市民は正しい判断と評価する。そういう政治判断こそ自治体の長の責任の果たし方だ」。熱弁は同席していた他会派の議員にも向けられた。「行政が進む道を支えるべく、議員も覚悟が求められている」
市は差別根絶条例の成立を目指す。「議会と市民が一丸で制定に取り組み、全国の先頭を行く。そうして国会の法整備につなげていく。それが『川崎方式』」。体調を崩した妻を思って身を引くが「こういう話をしている時が一番生き生きしていると、先日も言われたばかりでね」。対話と言葉を大切にしてきた政治家だった。
住民の一番近くに
共産・市古映美さん団長経験
3人の子育て中で、一番下の子はまだ乳飲み子。栄養士として働くさなかの打診だった。教員の夫が周囲からの要請を固辞し、自身に白羽の矢が立った。「働く母親の声を代弁していきたい」。出馬を決意し、初当選したのは1987年。以来8期32年、革新市政の伊藤三郎氏から4代の市長と向き合ってきた。
思い入れが深いのは、2017年開始の中学校給食だ。「20年以上の市民運動の力が大きい。粘り強く訴え続けた保護者の願いが実り本当によかった」
栄養士として、母親として、議員として、実現に尽力したとの自負がある。子どもの貧困問題がクローズアップされ始めた11年の3月議会。共産党が発議した「中学校完全給食の早期実現を求める決議」が、全会一致で可決された。「うれしかった。その後、福田紀彦市長が中学校給食を公約に掲げて当選した。議会の決議の意味は大きかったと思う」と振り返る。
後継にはできれば女性候補を選びたかったが、なかなか適任者が見つからなかった。一昨年の市長選に夫が出馬した際、応援演説した次男が支援者の目に留まり、「後継に」と推された。当初、身内は反発したが次男は快く引き受けてくれたという。
「川崎は図書館も少ないし、中原区は武蔵小杉駅の混雑もまだひどい。園庭のある保育園も…」。引退を決意した今も、地域をよくしたいとの気持ちは尽きない。
川崎市は革新市政時代から、国に先んじて住民に寄り添った施策を展開してきた。「自治体も市議会議員も住民に一番近いところにいる。その気持ちを常に抱いてほしい」と後進に思いを託す。