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そごう30周年<3>転機 横浜博で認知度上昇

経済 | 神奈川新聞 | 2015年10月3日(土) 11:00

みなとみらい21地区で開かれた横浜博覧会会場には、そごうのパビリオンもあった=1989年
みなとみらい21地区で開かれた横浜博覧会会場には、そごうのパビリオンもあった=1989年

 ストップ・ザ・東京-。横浜駅東口の横浜そごうが開業当初、掲げた基本戦略だ。横浜市内から都内に流出している購買力を、年間4300億円と推算。都内へ向かっている客の足を横浜にとどまらせる狙いだった。それは、当時の横浜経済界の悲願でもあった。

 日本一の売り場面積を誇る同店の登場は、地元では脅威と受け止められる一方、市内経済活性化の起爆剤になるとの期待感も高かった。横浜駅は首都圏有数のターミナルであり、「東西に百貨店が共存するだけの潜在能力は十分、あると考えられていた」(横浜岡田屋社長の岡田伸浩)

 開業後は、着実に消費者に浸透していくものの、ギフト商戦は苦戦した。創業の地・関西では知名度が高かったが、横浜では“新参者”。特に、ギフトは高島屋や三越といった老舗を選ぶ消費者が多かった。

 横浜そごう開設準備室時代から2005年まで勤務し、現在はセブン&アイ・ホールディングスCI室シニアオフィサーの原田良治(57)は打ち明ける。「最初の年の歳暮商戦。ふたを開ければ目標とする数字に届かず、惨敗だった。当時の販売促進部長が、従業員の前で泣きましてね。それだけ悔しかったのでしょう」

 転機となったのが、1989年にみなとみらい21(MM21)地区で開催された「横浜博覧会(YES’89)」だ。横浜市制100周年、横浜港開港130周年を記念した一大イベントで、横浜そごうのパビリオンや、そごうが入る横浜新都市ビルと博覧会会場を結ぶゴンドラリフトも登場。多くの人が来店するきっかけになった。89年度の来店客数は、それまでで最も多い2601万人超に達した。

 その頃からだろうか。開店1期生の大澤智子(53)は街中で横浜そごうのショッピングバッグを持つ人が増えたと実感するようになった。今はない、そごうのロゴマークやカモメの絵が描かれたグリーンの紙袋。「オリジナルの紙袋だったので、横浜そごうのお客さまであることは明らか。東京で見かけた時は本当にうれしかったものです」

 そごうの歴史を語る上で欠かせないのが、売上高では県内トップの横浜高島屋の存在だ。比較的、中高年層の客が多い同店に対し、そごうはより若い世代をターゲットに据える戦略で、すみ分けを図った。

 大澤は言う。「われわれは挑戦者の立場。同じことをしていては勝てない。だから新しいことにチャレンジしようという機運があった。それは、昔も今も変わらない」。ホワイトデーの時期に、地下のお菓子売り場の横で女性用インナーウエアを展開。「バレンタインのお返しには下着を」と提案したこともあった。

 品ぞろえや催事の内容…。従業員はライバルの動向を意識しながら店づくりを模索した。売り上げは右肩上がりを続け、92年2月期には約1720億円に達した。その記録は、開業から30年たった今も、破られていない。

 =敬称略


みなとみらい21地区で開かれた横浜博覧会会場と、そごうを結ぶゴンドラリフト。多くの客の来店につながった
みなとみらい21地区で開かれた横浜博覧会会場と、そごうを結ぶゴンドラリフト。多くの客の来店につながった

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