「起業という選択」を後押しする環境が神奈川に整いつつある。挑戦の実態と、支援側の戦略に迫る。

さながらドラマのワンシーンを演じているようだった。
「私と仕事、どっちを選ぶの?」
交際相手に問われ、秋山智洋(34)はたじろいだ。結婚、そして出産。そんな将来を語り合える仲をはぐくんでいた。安定した収入もあり、彼女の切実な思いに胸が痛んだ。
「慎重派」という秋山はそれでも、大胆な決断を下した。愛する人と別れ、一流企業の看板を捨て、会社を興すという「いばらの道」を歩む、と。確たる自信と信念があったから、後悔はない。
横浜出身の秋山は、国内外の大学を卒業して5カ国語を操る。27歳でNEC(東京都)に入り、海外部門の横断的な組織づくりに奔走した。「当時は起業なんて興味がなかった」と振り返る。
価値観を一変させたのは、新規事業を担う部署での経験だった。
次々とあふれるアイデアに囲まれ、刺激を受けた。周囲の才能に埋没しかねないという危機感にも駆り立てられた。模索するうちに自然と、高齢化社会に必要なビジネスへと関心が向いた。
その頃、斬新な企画書に目を通しては疑問を抱いていたという。ヒアリングの対象はせいぜい10人程度。「ニーズを正確に探らないと成功の道筋は描けない」。周到な性格故、数字にはこだわった。
まずは実家の回覧板で高齢者を募った。近所の自治会館に集まってくれたのは、70代の男女が3人だけだった。落胆したが、そこから人脈をたどり、3年がかりで1002人もの肉声に接した。
一つの結論を導いた。
「活動的なシニアに『してあげる』サービスは受け入れられない」。生きがいを感じてもらえる仕組みとは─。頭をひねった。
英国での留学時代、老齢の紳士に受けた「おもてなし」が秋山の脳裏をよぎった。
=敬称略