ハンドクリームのユースキン製薬(川崎市川崎区)の主力商品「ユースキンA」が9月、発売60周年を迎えた。人間で言えば還暦のロングセラーで、その歩みは同社の歴史そのもの。野渡和義社長は「いつの時代でも手荒れの悩みは生まれてくるもの。商品の存在を知らない人に届ける営業努力を今後も続ける」と前を向く。その視線が向く先は、国内にとどまらない。
発端
ユースキンAの開発の発端は、1950年代半ば、野渡社長の父親で創業者の故・良清氏が営む薬局に、主婦が手荒れ薬を買いに来たことだった。高度経済成長の前夜で、電気洗濯機は普及の途上にあった時代。洗濯や炊事といった毎日の水仕事が人々の手荒れを招いていた。
「荒れ止めをください」
主婦の求めに応じ、良清氏がその頃、主流だったという石油系油脂のクリームを出したところ、「ああ、やっぱりこれですか。でも他にないんじゃしょうがないですよね」。当時のクリームは手に塗った後もベタつきが残り、ほこりが付いたり、衣類や食器に移ったりと難点が多かった。
その後、良清氏は知人で薬化学の権威だった綿谷益次郎氏の技術協力を得て、「ベタつかず、もっと効く薬」の開発を進める。野渡社長は「父は主婦ががっかりしながら代金を払っていった光景が頭から離れなかったようだ」と回想する。
「ユースキン」(現在のユースキンA)を発売したのは、57年のことだった。
黄色
「クリームが黄色で見た目が悪いけど、使った人は支持してくれる。営業のやりがいがあった」
73年に入社の野渡社長は当時をそう振り返る。温めたクリームをヤカンに入れて容器に詰めていたそれまでの家内工業から、横浜工場(横浜市鶴見区)が完成し、機械化への転換を果たしたころでもあった。
「営業担当で手分けして全国をひたすら回った。サンプルをつくって配って回ったら、徐々に口コミで評判が広がって。だけど、無名だったので、言われるのは『黄色いのください』だった」と野渡社長。
卸や薬局にまずサンプルで商品の良さを知ってもらう。そして「その方々にまた次のお客に推奨してもらうサイクルだった」。
ひびやあかぎれ、しもやけに効く-。発端になった主婦層の評判はもとより、調理師や看護師、美容師といった玄人筋にも浸透。商品は全国区になっていった。
展開
広く受け入れられるための工夫も加えてきた。
利便性を高めるため、ポンプ式のジャー(容器)を採用。夜、寝ている間にケアができる専用手袋も考案した。2014年からは培った技術を生かし、低刺激処方でジャスミンなど花の香りが楽しめる「ユースキンハナ」シリーズを展開している。
「今後もユースキンAを極めたい」と野渡社長。視線は海外にも向く。これまでも米欧などに輸出してきたが、近年は中国市場で明るい兆しが見えてきたという。
「市場に詳しい人材を得て小売りチェーンの開拓が進みつつある。富裕層がお手伝いさんに買うとか、中間層以上の層で商機が見えてきた」。道半ばだが、17年8月期の中国での売上げは、3年前の8倍の4千万円に拡大した。
現在はタイやベトナムといった東南アジアでも展開の機会をうかがうという。
野渡社長は力を込める。「国内市場の深掘りが第一だが、将来は人口減少もある。今後の成長力を確保する意味で海外も重視したい。必要とする人に届けていくのは同じこと。世界でファンを増やしたい」