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富士通ゼネラル社長・斎藤悦郎さん (3)
ドキュメント経営者 日本ブランド、商売を後押し

経済 | 神奈川新聞 | 2017年9月14日(木) 09:35

1986~90年まで駐在した香港の販社時代。自ら採用した現地のスタッフたちと(左から3人目が斎藤さん)
1986~90年まで駐在した香港の販社時代。自ら採用した現地のスタッフたちと(左から3人目が斎藤さん)

 アジアの新興市場開拓に努める日々。1980年代半ばで、改革開放路線を掲げた中国でのビジネスチャンスが広がっていた。当時英領の香港を拠点に、中国資本と組んだビジネス展開が本格化。86年に香港に販売会社「FGL(HK)」を設立し、購買と販売の責任者を任された。32歳だった。

 「うちの技術や設備を現地資本に供与して、中国で5カ所ほど、テレビや冷蔵庫などを生産する工場の立ち上げに関わった。技術者と何カ月も泊まり込みで取り組んだ。いざ製品が生産され、市場に出るときの思いは格別だった」

 製品は現地資本が中国で販売する一方、香港の販社経由で買い付けて東南アジアや中東向けに自社ブランドとして販売した。成長軌道を描き始めた中国で家電の引き合いは強く、香港は一大拠点になった。

 「当時、香港がうちの海外部門の売り上げをけん引した。30代前半の社員にその購買と販売を任せたわけだから、随分度胸のある会社だった」

 商談で中国全土を駆け回る中、89年6月、忘れがたい体験をした。中国当局が民主化を求める学生らを武力弾圧した天安門事件だ。

 「買い付けの商談で89年6月2日まで北京にいた。学生運動の活発化は知っていた。香港の現地スタッフと天安門広場に行ったが、学生たちが交通整理をしていたり、市民はアイスクリームをなめていたりで、いたって平和的な印象だったのだが-」

 その日のうちに次の商談で天津に移動。事件が起きたのは2日後の6月4日だった。

 「『斎藤、大丈夫か』。本社の海外営業本部長から電話があった。天津での買い付け交渉は難航していたから『大丈夫じゃないです。相手は一銭も安く卸すつもりはないですよ』と報告したら、切羽詰まった声で『何が起きているか、分かってるのか』と。事情をのみ込み、即座に出国の手続きを取った。『すぐに帰る』と商談相手に告げたら、慌てた様子で卸値をまけてくれた。何とか、無事出国することができた」

 不測の事態に直面し、異なる商習慣の壁にもぶち当たる中で、ビジネス上の潤滑剤になったのは日本ブランドに対する揺るぎない信頼と敬意だった。

 「『ジャパン・アズ・ナンバーワン』と言われ、日本ブランドが最も輝いていた時代。日本製品は価格競争力があって高品質というのが共通認識で、商談もスムーズに進んだ。間違いなく、商売を後押しする要素になっていた。日本の製造業に身を置くことは私の誇りで、今も変わらない。当時の心意気を忘れまいと、常に思っている」

 言語も価値観も政治体制も異なる国で、さまざまな人たちとのつながりで紡がれるビジネスの奥深さを知った約4年の香港駐在。日本に帰国したのは90年秋だった。

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