国内最大級の複合MICE施設・パシフィコ横浜が開業30周年を迎えた。その歴史をたどるとともに、今後の展望を探る。

「横浜は、世界への情報発信都市として第2の開港を迎えた。325万横浜市民とともに祝いたい」
1991年7月29日。横浜・みなとみらい21(MM21)地区の「パシフィコ横浜」完工記念式典あいさつで、高秀秀信市長(当時)は述べた。
この時、完成したのは大中小の約50室の会議室を備えた「会議センター」や、ヨットの帆がモチーフの「ヨコハマグランドインターコンチネンタルホテル」など。
翌日の神奈川新聞によると、テープカットに代わり、帆をかたどったシンボルフラッグ(旗)を掲揚する“出航式”を実施。2年前、横浜博覧会「YES’89」が開かれていた場所に建った新たな施設の船出を、官民2700人が祝ったという。
都心部強化事業
パシフィコ横浜30年(中) 重ねた国際会議、高めた評価
パシフィコ横浜開業前年のMM21地区。高層ビルが立ち並ぶ現在とは大きく異なる光景が広がる [写真番号:770012]