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小田原駅開業100年
未来への結節点(1)ルート変更で誕生 街は祝賀ムード

経済 | 神奈川新聞 | 2020年10月18日(日) 05:00

 今から100年前に誕生した小田原駅。その後、次々と鉄道各社が乗り入れ、県内有数のターミナル駅に成長した。県西部の発展に貢献した同駅の歴史をたどり、将来の姿を探る。

1965年当時の小田原駅東口。大勢の乗客や車が行き交う(小田原市提供)

 雨空の下、多くの模擬店が並ぶ小田原駅前広場の祝賀会場。通りには自動車を装飾した仮装機関車や花電車のほか、小田原幼稚園児の稚児行列もお目見えした。駅周辺は3日間にわたり、祝賀ムードに包まれた。

 1920(大正9)年10月21日、熱海線の国府津─小田原間6・2キロが開通し、小田原駅が開業した。小田原は京浜地域と直接結びつくことになり、住民の喜びもひとしおだった。

国府津のにぎわい横目に

 小田原駅ができるまで、県西部の玄関口は国府津駅だった。1887(明治20)年7月に東海道鉄道(現東海道線)の横浜─国府津間が開通し、89年2月には国府津から松田、山北、御殿場を経由して沼津に至るルートが完成した。他ルートに比べ急勾配とトンネル工事の少ないことが決め手となった。

 国府津駅は88年から小田原や箱根への馬車鉄道の乗換駅にもなり、駅前には旅館や商店が並んだ。

 取り残された形となった小田原・箱根地域の人々は1900年、馬車鉄道を変更し、国府津─小田原─箱根湯本12・9キロを約1時間で結ぶ全国で4番目の電気鉄道を走らせた。輸送力が強化されたことで箱根温泉への湯治客が急増し、小田原の町にも再び活気が戻り始めた。

輸送力増強が転換点

 そんな中、国府津から小田原、真鶴、湯河原、熱海を経由して沼津に至る新しい路線計画が浮上した。東海道線の山北─沼津間で急勾配が連続し、列車の速度が出せず輸送力に限界があったためだ。

 願ってもない展開に小田原町議会は14年3月、国会と鉄道院に鉄道促成請願書を提出。翌年、鉄道院は国府津─熱海─沼津間に熱海線を開業することを決定した。

 小田原以西は熱海まで25年に開通し、難所の丹那トンネル(熱海─函南間7・8キロ)も16年がかりで完成。34年の熱海─沼津間開通によって熱海線は東海道線に、国府津─沼津間は御殿場線に改称された。

 急勾配の減少によって、東海道線の輸送力は2・5倍に増えた。小田原はその後、基幹路線の主要駅として揺るぎない地位を築くことになる。


1887年7月 東海道鉄道の横浜―国府津間が開通
1889年2月 同鉄道の国府津―静岡間が開通
1900年3月 小田原電気鉄道の国府津―箱根湯本間が営業開始
1920年10月 熱海線の国府津―小田原間が開通
1925年3月 小田原―熱海間が開通
1934年11月 国府津―沼津間の開通で熱海線は東海道線に改称

 
 

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