
横浜・中華街にあるライブハウス「F.A.D YOKOHAMA」(F.A.D)が今月、オープン20周年を迎えた。オーナーの橋本勝男(56)は自身もバンドでギター、ボーカルを務めプロを目指していた。経験を次代に伝えたいと、出演するアーティストの兄貴分として時に叱り、励まし、ミナト横浜の音楽を見守ってきた。横浜育ちのシンガー・ソングライター秦基博(はた・もとひろ、35)も橋本に感謝する一人だ。
「基博はね」と秦との日々を振り返る言葉に優しさがにじむ。橋本は21歳の時に同郷・名古屋出身の女性と結婚。バンドでは収入が不安定だったため、「いつになったら子どもを産めるの」と妻に問われ、定職に就くことを決めた。裏方に回って音楽を支えようと、業界でアルバイトをして経験を積み、26歳の暮れに東京で会社を立ち上げた。バンドブームに乗り、コンサートを企画し、会社は右肩上がりに成長。しかし一気に手にした大金を散財し、一転して借金に追われた。会社員だった妻の給料を返済に充てるなど苦しい時期を二人三脚で乗り切った。
「新しいムーブメントを取り入れたライブハウスで人を育てたい」と奮起し、35歳でF.A.Dを開業。ライブを見ては良い点や改善点などを伝える日々を送っていたとき、秦と出会った。
一度も人前で演奏をしたことがなかった秦に、広げた扉。1999年の初ステージに集まったのは5人ほどだった。だが、アコースティックギターを持ち、譜面台に歌詞などが記された大学ノートを広げ、歌う声を聴いたとき、「低・中・高音すべてが魅力的。天に授かった声」と驚いた。
自宅で一人歌っていた秦にとって、人前で演奏できたことは大きな喜びと経験だった。「基博には、オレのようにすぐ調子に乗ってはダメだぞ。他人と比べず自分の時間をしっかり持てと言い続けた」。もっと視野を広げた方がいい。小説やマンガ、映画などを秦に勧めた。
大学卒業を控えた秦から真剣な顔で「僕はプロのミュージシャンになれますか?」と聞かれた際は、「オレの主観だけど、おまえみたいに歌うことができるのは美空ひばりしかいないよ。ひばりさんは死んでしまったから、今はおまえしかいない。作詞、作曲の能力を上げたら横浜からアジアに行ける」と背中を押した。
秦の魅力は「声と文学的な歌詞」と語る。「自分が音楽に込めた言葉がどう受け止められるのか、怖い」と苦しむ姿を見た。紡ぐ言葉に膨大な時間がかけられていることも知っている。
〈飼い慣らせ 不安を くつがえせ既成概念を〉
格好つけることなく、もがく自分の姿を、秦は「ROUTES」の歌詞でさらけ出し、歌う。「きれいな言葉でうわべを飾ることもできるけど、簡単な道を行かず、苦しみを超えて生まれた言葉は強い。あいつがものを考えるとき、オレの言葉が彼の中に少しでも存在すれば、オレが生きた意味があるよね」
実の息子のように見守ってきた秦は、ことしプロデビュー10年を迎えた。「ここでしかできないライブを」と秦と相談し、18~25歳のファン限定で20日に、5年ぶりの凱旋(がいせん)ライブを予定している。
「横浜は寛容な街。音楽も、人も。だから右に倣えじゃなくて、自分の場所を多くの人に見つけてほしい。その力になっていきたい」と思いを込めた。
