

両耳の難聴を告白し、東京ドーム(東京都文京区)で23日に開いた公演をもって、ライブ活動の無期限休止に入るロック歌手の氷室京介(55)が、同地でラストギグを開催。ステージでは、「オレの(ソロ)25年の歴史はこの曲から始まった」と、ソロデビュー曲「ANGEL」のほか、BOOWY時代の「NO.NEW YORK」など全35曲を3時間半をかけ歌い、BOOWY結成後、35年間続けてきたライブ活動に終止符を打った。
開演1分前の午後5時59分。待ちきれないファンが手拍子で登場をあおる。開演時刻を7分ほど過ぎ、ステージ両脇に設置された巨大スクリーンに「KING OF ROCK」の文字が映し出されると、ソロ初のツアーからこれまでのタイトルと、ライブ映像が年代順に流れていった。
〈ここから先はひとり〉と涙ぐみ、歌った一昨年の横浜スタジアム公演の場面が流れると、歓声がスッと途切れた。
そして、BOOWYの「Dreamin’」で幕開けたラストギグは一気にヒートアップ。「最後の夜だぜ」と氷室があおると、ギターの音をかき消すような大合唱が沸き起こった。
「PARACHUTE」を歌唱後は、歌詞を書き下ろしたGLAYのTAKURO(44)と、B’zの松本孝弘(55)と米ロサンゼルスで食事をした際、TAKUROから「このあとどうするんですか?」と訪ねられ、「ゆっくりアルバムを作ろうと思っている。60ぐらいになったら出そうかな。タイトルは『還暦』」と話したエピソードを語った。さらに、TAKUROから「この話は最後のライブで言わないで」とお願いされたことも明かし、観客を笑わせた。
「東京ドームは大好きな場所。区切り区切りにやらせてもらってるけど、今日のライブが最高だね。ライブハウスのような熱気を感じて、感動を味わわせてもらっている。12歳くらいのころ、まともな大人になれるかなと思っていて、ちゃんとなれているか分かんないけど、たくさんの人にエネルギーを送ってもらえる人生を35年間、本当にありがとう」と感謝。「最後にみんなに贈りたい」とアンコールの1曲目に、横浜スタジアムで涙を流し歌った「The sun also rises」を披露。会場は、その姿を目に焼き付けるように、静かにステージを見つめていた。
コンサート楽曲は事前に、BOOWY、ソロ曲からまんべんなく選んでいるが、客の熱を感じた氷室が、「今日はこっちの曲の方が盛り上がる」と瞬間に判断し、最善の曲に変更するなど、最後の最後までこだわりを持ち舞台に立ち続けた。
3度のアンコールに応えたロックキングとファンの相思相愛の“ランデブー”。「今夜は死ぬまで終わんねぇぞ!」。氷室は、左耳に付けたイヤモニターを、何度も押さえながら歌う姿もあったが、5万5千人の思いをしっかりと受け止め、ラストはBOOWYの「B・BLUE」で締めくくった。
同地での公演は21日から3日間連続で行い、ソロアーティストとして史上最多の12回を記録した。動員は16万5千人(1日当たり5万5千人)で、3日間のチケットを求めて40万通の応募があった。3日間を通じ、ステージ裏などを活用した見切れ席6千席(1日2千席)を準備。ほぼ全方向からファンが最後のステージを見守った。公演後はオフに入り、音楽の制作活動は続けていく。
2014年3月に始まった全国公演。50本を行うツアーの9本目だった九州・博多で、体力の衰えを深く感じた。9年ほど前から右耳に煩っていたトーンデフ(難聴)。それは、「水の中に潜って歌っているような感覚」という。聞き耳は左だったため、続けてきたが、左耳にも聞こえない音域があることに気がついた。限界と向き合った上で、決めた引き際。ステージに向かう前、スタッフ、妻に「これが最後」と伝えた。
同年7月13日に山口で行ったライブで同ツアーを最後に、「氷室京介を卒業する」と宣言。自身の公式サイトでは「音楽活動について引退の意向がある」と公表した。ツアー最終地だった横浜では、「自分でイメージしていることができなくなったとき、体力的に無理だと思ったときに辞めようと決めていた」と胸の内を告白。理由を「両耳の不調」と明かし、ファンに理解を求めた。
万感の思いで臨んだ横浜の舞台。雨の中、スタジアムで行ったリハーサルで、転倒し肋骨(ろっこつ)を骨折。命の危険もあったが、中止をすることを選ばず、生きざまを見せつけた。そして迎えた最終日。ファンの思いを代弁するかのように、終盤に落空から大粒の雨が落ちてきた。天の怒りに触れたのか、球場のすぐそばに落雷もあり、コンサートは約1時間の中断を余儀なくされた。
再開した舞台で氷室は、「けがをしていてこれ以上できないけれど、このリベンジをどこからで必ず」と約束。そのステージが、今回の大阪・名古屋・福岡・東京を巡ったドームツアーだった。
万全の体制でファンと向き合おうと、トレーニングに励んだ。拠点を置くアメリカ・ロサンゼルスから帰国し、ツアーが始まった後もホテルの周辺を走り込むなど体調を整えることを最優先、リベンジ公演に臨んだ。「みんな、待たせちゃったね。気の早いバンドなら再結成するぐらい(の長さ)だね」と肩をすくめた。
◆プロフィル
群馬県高崎市出身の氷室は、同郷の布袋寅泰らと1981年にBOOWYを結成。翌春、アルバム「MORAL」でデビューし、人気絶頂の87年12月に解散を宣言した。88年4月に東京ドームで行った「LAST GIGS」でバンド活動に区切りを付け、同年7月にシングル「ANGEL」でソロ始動。92年にはシングル「KISS ME」が大ヒットし、人気を不動のものにした。
全国4代ドームツアー前に発売した2枚組のベストアルバム「L’ÉPILOGUE(エピローグ)」は、発売初週に8・5万枚を売り上げ、オリコン週間アルバムランキング(4月25日付)で1位を獲得。通算回数は12作目で、長渕剛と並んでいる。

