横山秀夫の長編小説「64 ロクヨン」、待望の映画化。前後編2部立てで、重厚なドラマを展開する。
県警の広報官・三上(佐藤浩市)は刑事だった頃、昭和64年に発生した未解決の少女誘拐殺人事件(警察の符丁でロクヨン)の捜査に関わった。現在の仕事は県警記者クラブへの対応。実名報道か匿名かをめぐって、関係は最悪だ。
時効が1年後に迫ったロクヨンの捜査員激励のために、警察庁長官が来県することになった。それを狙ったかのように、後編ではロクヨンに酷似した事件が発生する。
三上の部下に綾野剛と榮倉奈々、記者クラブの幹事社キャップに瑛太、ロクヨンの被害者の父に永瀬正敏、捜査一課長に三浦友和、刑事部長に奥田瑛二、警務部長に滝藤賢一ら。監督は瀬々(ぜぜ)敬久、脚本は久松真一と瀬々。
多くの対立がある。警察庁と県警、キャリアとノンキャリア、県警内部の刑事部と警務部、全国紙と地方紙、本社記者と支局記者-。前編の軸は広報室と記者クラブだ。
横山得意の世界で、くせ者ぞろいの記者がリアル。抜いた抜かれたの一喜一憂、他社への疑心暗鬼、広報官との駆け引き、本社から応援に来た記者に対する屈折した心情…。それぞれの言い分が描けているから、論争が上滑りしない。
白眉は、実名か匿名かをめぐって三上が記者たちに重大な決意表明をするシーン。約9分、ほとんど1人語り。情理を尽くして説く三上を、佐藤が気迫で見せる。
抑制の効いた米映画「スポットライト 世紀のスクープ」と比べると怒声が飛び交う劇画調だが、多彩な群像の一人一人まで印象づけた手腕は見事。ただ、三上の娘の失踪が作劇上必要だったかの疑問が残る。
2時間1分。7日全国公開。後編(1時間59分)は6月11日から。