遠藤周作の「沈黙」が、名匠マーティン・スコセッシ監督の手でハリウッド映画になった。壮大なスケールと深みのある映像に、激しい葛藤を詰め込んだ2時間42分。信仰という重いテーマが心を揺さぶる。
キリシタン弾圧下の長崎に、キチジロー(窪塚洋介)の手引きで宣教師ロドリゴ(アンドリュー・ガーフィールド)=写真左=とガルペ(アダム・ドライバー)が潜入する。目的は、先に日本に入った高名な宣教師フェレイラ(リーアム・ニーソン)の消息を調べること。彼は捕らえられ、信仰を捨てたという。
残酷な拷問を受けても踏み絵を拒否する信徒は火に焼かれ、海に沈められ、斬首される。信仰を貫くか、棄教して信徒の命を救うか。幕府の手に落ちたロドリゴは苦悩する。
長崎奉行にイッセー尾形、通詞に浅野忠信、隠れキリシタンに塚本晋也=同右、加瀬亮、笈田ヨシら。
スコセッシは、しばしば宗教的葛藤を自作のテーマにしてきた。外国人が描く江戸時代の日本人像が、貧しくてもりりしいのは、原作への深い敬意からくるものだろう。
「神と人間」は困難なテーマ。スコセッシとジェイ・コックス共作の脚本は、多彩な人間を重層的に絡ませて難問に挑んだ。
キチジローの描写が際立つ。この卑劣な男はロドリゴを裏切ってもなお、神に救いを求める。弱い人間の典型として、映画は彼を断罪はしない。その赦(ゆる)しの先に、ロドリゴの究極の決断がある。
欲を言えば、幕府がなぜキリスト教をかくも恐れたかの描写があれば、観客の理解を助けたのでは。
人間の負の部分を一身に背負った窪塚と、冷徹なインテリ役の浅野が光る。尾形は発声を含めて役を作りすぎたか、少々くさい。
横浜ブルク13、川崎・チネチッタほかで上映中。