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HAND SIGNの挑戦~指先に思いを~

カルチャー | 神奈川新聞 | 2016年3月9日(水) 01:41

「涙が出そうになる気持ち、込み上げてきそうな気持ちが胸の底からあふれてくる」という意味の手話をダンスの中で表現するメンバーと中野さん(右)=平塚市宝町のダンススタジオ
「涙が出そうになる気持ち、込み上げてきそうな気持ちが胸の底からあふれてくる」という意味の手話をダンスの中で表現するメンバーと中野さん(右)=平塚市宝町のダンススタジオ

 午後11時。JR平塚駅にほど近い雑居ビル4階のダンススタジオに続々とメンバーが集まり始めた。リズミカルな音楽が流れる。切れのあるターンに、流れるような大胆な動き。5人がぴたりと重なり合う。

 そこに、手話特有の腕から指先にかけての動作、表情が加わる。見る者の胸に直接響くメッセージ。

 〈初めて一途になれたよ ハンドサインから愛の歌-〉

 人気グループ「湘南乃風」のメンバー、HAN-KUNから提供を受けた歌詞が、また別の光りを放つ。

感動伝える架け橋に


 言葉の意味を直接的に動きにする手話。歌詞を手話にしてダンスに組み込み、表現することで、見る者に独特の感動を与える。5人組ダンスグループ「HANDSIGN」(ハンドサイン)は7年前、平塚市を拠点に結成した。全員、聴覚に障害はない。

 「耳の聞こえない人にもダンスの楽しさ、感動を伝えたい。聞こえる人にも手話に関心を持ってもらえるような、懸け橋になりたい」

 結成時からのメンバーで、リーダーのTATSUこと中野達朗さんは、手話を取り入れたオリジナルダンスを始めて以来、学んでは、悩み、挑んでは、技に磨きをかけてきた。

 中野さんがダンスに出会ったのは14歳の時。二宮町百合が丘の商店街だった。シャッターが閉じられた午後7時過ぎ。十数人の中高生が、半畳ほどの大きさの薄い段ボールを地面に敷き、体全体を使って回ったり、飛び跳ねながら身をよじって回転するブレークダンスの技を競い合っていた。

 そこには、HANDSIGN発足当初からのメンバーで、同じ町立二宮西中学校のSHINGOこと小林慎吾さんもいた。中野さんは、ダンスに没頭した。

 高校を卒業し、民間企業に就職。その後大学へ進学したころには、ストリートは二宮町から、JR平塚駅北口へ移っていた。午後10時過ぎになると、駅北口の階段踊り場は、10人ほどの同年代の若者が技を磨く舞台になっていた。

 世界的なアーティストを数多く輩出したことで知られる世界屈指の舞台、米国「アポロシアター」で2009~10年にかけ活躍したダンスグループ「HANDSIGN」はいま、全国の小学校で手話を伝えようと取り組んでいる。その軌跡を紹介する。
【動画】悲願の県内50校公演を達成


HAND SIGNの発足当初からのメンバーでリーダーのTATSUこと中野達朗さん
HAND SIGNの発足当初からのメンバーでリーダーのTATSUこと中野達朗さん

アポロシアターに活路を



 きっかけは、リーダーのTATSUこと中野達朗さんが、テレビドラマで見た手話のシーンだった。「ダンスに取り込めたら、かっこいいかもしれない。初めはそういう直感からだった」

 同じ中学校の出身で、10代からダンスの技を磨き合っていたSHINGOこと小林慎吾さんと、2004年のクリスマスイベントで、初めて手話を取り入れたダンスを披露した。観客の反応は、これまでとまったく異なっていた。

 「『感動した』と。そんなこと言われたのは初めてで、会場もかつてない喝采に包まれていた」

 2005年、「HANDSIGN」としてダンスユニットを組んだ。2人は結成直後の06~08年にかけて国内の大規模なダンスコンテストで相次ぎ入賞、優勝を積み上げていった。

揺るぎない称号を目指し


 だが、戦歴を重ねても、ダンスの仕事が舞い込むわけではなかった。行き詰まりを感じた2人が、さらなる飛躍へ向けて挑んだのが米・ニューヨークにある「アポロシアター」だった。かつてインターネットの動画サイトで見た世界屈指の舞台。揺るぎない称号を得よう、そう誓った。

 09年3月。2人は午前8時から、アポロシアターの前に延びる長蛇の列の中にいた。年間1万人以上がオーディションを受けるとされるアマチュアナイトの出場選考会だ。12時間余り待ち、会場へ入れたのは午後9時。わずか1分半の審査を受けるために、世界中から集まった腕に覚えのある若手アーティストが会場内に座っていた。

 「直前に歌った女性は、曲が始まってわずか4秒で審査員から『サンキュー ソー』(どうもありがとう)と言われ、会場から出されていた」。12時間並んで4秒で帰されるのを目の当たりにし、極度の緊張が身を包んでいた。やがて順番が回ってきた。


アポロシアターで絶賛された指揮者の演目。国内でも数人しかできないというブレークダンスの技も折り込まれている=平塚市宝町のダンススタジオ
アポロシアターで絶賛された指揮者の演目。国内でも数人しかできないというブレークダンスの技も折り込まれている=平塚市宝町のダンススタジオ

地響きの喝采浴びて



 曲が始まって15秒ほどで審査員の1人がくすっと笑った。

 「これはいけるんじゃないか」と、実感するのもつかの間、周辺にいたスタッフがリズムに合わせて体を揺らし始めた。手話を取り入れた後半部分に入ると、会場内に、拍手が湧き起こった。

 「カモン(おいで)」と、審査員の1人から告げられた。

 TATSUこと中野達朗さんと、SHINGOこと小林慎吾さんの2人グループだった当時の「HANDSIGN(ハンドサイン)」が、世界屈指の難関とされる米国「アポロシアター」の舞台へ立つことが決まった瞬間だった。

 「もう、驚きと感動で思わずガッツポーズ。すぐに、いつ来られるかと聞かれた」
 だが、2人とも英語があまりできない。携帯電話の番号を書き示し、「いつでも来られる。連絡が欲しい」と伝えた。これが失敗だった。携帯電話の番号が間違っていたのだ。

 数カ月たっても連絡はない。英語のできる友人に何度も問い合わせてもらい、ようやく連絡が取れたのは、出場予定日のわずか2週間ほど前のことだった。

 アポロシアターは熱気に包まれていた。この日出場する10組余りの中で、最後から3番目の順番だった。

 アマチュアナイトでは、観客からの拍手が優劣を決める。多くのブーイング(酷評)を受けると、演目の途中でも強制的に退場させられてしまう。実際、「僕らの前で何組もがブーイングで退場させられていた」。

 曲が始まる。マイケル・ジャクソンの名曲が会場にとどろくと、会場は一気に盛り上がった。必ずといっていいほどいるブーイングばかりする観客の声を、喝采がかき消す。演目がクライマックスを迎え、手話のパートに入ると「会場は、ものすごい盛り上がりで、拍手は地響きになっていた」

 その日、最も優れた出演者に贈られる「1st place」に選ばれ、2週間後に行われる2回戦への出場が決まった。


大きな鏡を前に互いの動きを確認し合うメンバーと、発足当時からのメンバーのSHINGOこと小林慎吾さん(右)平塚市宝町
大きな鏡を前に互いの動きを確認し合うメンバーと、発足当時からのメンバーのSHINGOこと小林慎吾さん(右)平塚市宝町

栄冠手に悩み、学ぶ



 2009~10年、ダンスに手話を取り入れたグループ「HANDSIGN(ハンドサイン)」は、メンバーを1人、2人と増やし、計5人で、米国ニューヨークにある世界屈指の舞台「アポロシアター」で戦っていた。

 2年間で2度の優勝を含む7度の入賞。年間チャンピオンに一歩手が届かなかったが、アポロシアターから、「公認パフォーマー」の認定を受けた。

 「アポロだけを意識した2年間だった。目標は明確で、本当に充実していた」。結成時からのメンバーでリーダーのTATSUこと中野達朗さんは振り返る。帰国すると、一気に仕事が舞い込んできた。テレビ番組やコマーシャルへの出演、ダンスを交えて手話を教えるビデオ制作に加え、ろう者が集まるイベントにも数多く呼ばれるようになった。

 10年12月。HANDSIGNは、東京・渋谷で開催されたろう者と聴者の両方が来場するイベントで、ダンスとトークを披露していた。

 気の緩みか、甘さからか。

 何げない、ちょっとしたトークのはずだった。結成当初からのメンバーSHINGOこと小林慎吾さんは自己紹介の中で、得意芸の一つとして、アニメ「サザエさん」のタラちゃんの声をまねた。

 会場の反応は覚えていない。声帯模写は、ろう者は楽しめない。

 「一体、何を考えているんだ」。手話を教えてもらったこともある恩師から、痛烈な指摘を受けた。「ろう者と聴者に壁なんかない、という思いから、何でもありという勘違いをしていたのかもしれない」。トークでのわずかな一こまではあったが、それはHANDSIGNの活動の意義を自ら否定する行為といえた。

 岐路だった。

 聞こえない人を楽しませる、ろう者とどう向き合っていくか-。あらためてHANDSIGNは活動の意味を見つめ直していた。


イベントに向けスケジュールや演目を確認するHANDSIGNのメンバー。右からTATSU(タツ)こと中野達朗さん、SHINGO(シンゴ)こと小林慎吾さん、ROY(ロイ)こと佐藤涼さん、OzA(オザ)こと小澤裕さん、JiN(ジン)こと北村仁さん=平塚市宝町
イベントに向けスケジュールや演目を確認するHANDSIGNのメンバー。右からTATSU(タツ)こと中野達朗さん、SHINGO(シンゴ)こと小林慎吾さん、ROY(ロイ)こと佐藤涼さん、OzA(オザ)こと小澤裕さん、JiN(ジン)こと北村仁さん=平塚市宝町

世界へ手話 広めたい



 「こんなに面白いなんて思いもしなかった」

 ダンスにまったく関心のなかった子どもさえ、こぼれるような笑顔を見せ「楽しい」と体を動かしていた。ダンスに手話を取り入れているグループ「HANDSIGN(ハンドサイン)」のリーダー、TATSUこと中野達朗さんは2010年の半年間、個人的に県立平塚ろう学校(平塚市大原)の体育の授業で1週間に1回、ろう者にダンスを教えた。

 「想像できないほど喜んでもらえた。本当にうれしかった」

 HANDSIGNは、2011年から全国の学校でライブを披露したり、ダンスを体験するワークショップなどを展開するようになった。

 テレビ番組やイベントで、数多くの人を対象に手話を披露するようになり、正確な手話の実践という課題も大きくなっていった。「いま思えば甘かったところもある。過去に間違った手話で踊っていたこともあった」

 手話は一つの言語。習得は容易ではない。だがいつまでも間違っていては、思いは伝わらず、傷つけることさえあるかもしれない。2010年からは、ろう者で手話講師の和田淳希さんに手話監修として加わってもらった。

 メンバーは毎週のように手話のレッスンを受け、手話検定を受験している。「それでも、まだまだのレベルなんですよ」と中野さんは苦笑いする。

 今年4月、中野さんの元に、聴覚障害のある娘を持つ母親から、メッセージが届いた。イベントでステージを見たという。人気グループ「湘南乃風」のメンバー、HAN-KUNから提供を受けた「BEAUTIFUL DAYS(ビューティーフルデイズ)」という曲。歌詞を手話にしてダンスの中で表現していた。

 〈まず生まれてこれたことに大感謝〉
 〈未来はBEAUTIFUL DAYS〉

 「『ハンドサインのステージを見たら、涙があふれ出てきて。今までに、娘を生んだことを悩んだこともあった。でも、前向きになれた』と、そういう内容でした」

 「出会いだと思う。これからも手話を、ダンスを、続けていこうと思えるのは、出会った人からの声。期待してくれる人がいる。例えば、数多くの人が『ありがとう』を英語で『サンキュー』と言えるのと同じくらい、全国へ、世界へ手話を広めたい」

=おわり

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