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【動画】関東大震災で倒壊、社屋基礎か 本社前身の横浜貿易新報社 新市庁舎予定地で発見

カルチャー | 神奈川新聞 | 2015年11月23日(月) 03:00

関東大震災で倒壊した横浜貿易新報社屋とみられる基礎。柱の面取り(中央)などの意匠や、大きく傾き鉄筋も折れ曲がった様子が分かる=横浜市中区本町6丁目
関東大震災で倒壊した横浜貿易新報社屋とみられる基礎。柱の面取り(中央)などの意匠や、大きく傾き鉄筋も折れ曲がった様子が分かる=横浜市中区本町6丁目

 横浜市の新市庁舎建設予定地(中区本町6丁目)で、明治から大正期に建てられた建造物群の遺構が発掘され、神奈川新聞社前身の横浜貿易新報社(横貿)社屋とみられる基礎が見つかった。基礎は傾き折れ曲がっていることから、1923年の関東大震災で隣接の建造物とともに倒壊したとの記録を裏付ける震災遺構として専門家らが注目している。

 市による埋蔵文化財調査で2メートルほど掘り下げたところ、これらの遺構群がまとまって存在していることが初めて確認された。

 横貿社屋は4階建てで、弁天橋近くの大岡川沿いに22年3月に着工し、9カ月後の12月に完成。翌年3月から利用を始めた。当時は過渡期の技術だった鉄筋ブロック造を採用。鉄筋コンクリート造の基礎や柱、梁(はり)などに、ブロックを積んだ壁を組み合わせた構造だった。

 本町通りに面した隣の敷地からは、れんがでできた基礎も見つかった。鉄筋コンクリート建築の先駆者である建築家・遠藤於菟(おと)(1866~1943年)が独立後、初めて設計したれんが造2階建ての横浜銀行集会所があった場所に相当する。

 横貿社屋は利用開始からわずか半年後の9月1日、震災で全壊したとの記録がある。同13日に発行された横貿の「臨時第1号」には三宅磐社長名で「我社社屋は壊倒(かいとう)した」と発表。三宅千代夫人の自叙伝「思い出は真珠の如く」(1975年)にも屋内の階段が落ちたこと、隣の銀行集会所が崩れ落ちたことなど生々しい証言が残されている。社屋は余震で「四階が屋根ごと前の川の中に倒れた」と記していた。

 今回発掘された横貿社屋の遺構は、大岡川に面した一画に位置する。基礎はほぼ全て北側に傾き、玄関の柱とみられるコンクリート塊は鉄筋とともに北側に折れ曲がっていた。

 横浜都市発展記念館の青木祐介主任調査研究員は、震災後に普及した鉄筋コンクリート造の萌芽(ほうが)期に当たり、当時最新の技術がそれぞれ部分的に採用された遺構群と注目する。

 外観に19世紀末の欧州の意匠を取り入れた銀行集会所は「階段の踊り場に鉄筋コンクリート造が試験的に採用され、後に日本大通りに現存する旧三井物産横浜支店などに生かされた」と評価。横貿社屋の鉄筋ブロック造についても「れんがから鉄筋への過渡期の実践といえる」と分析する。

 市の新市庁舎整備担当は「今後の調査結果を受け、保存活用が必要かどうかを含めて市教育委員会などと検討していきたい」としており、建設計画を予定通り進めるとしている。





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