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萎縮する「自由」(4)波風立てるものを忌避し

カルチャー | 神奈川新聞 | 2015年8月10日(月) 10:49

打ち切りとなった長尾謙一郎の作品
打ち切りとなった長尾謙一郎の作品

〈「クリームソーダシティ」は、ある“権力からの勧告”を受け、本日発売のスピリッツ24号を最後に未完のままで終わることになりました。〉

 2014年5月12日、インターネット上に流れたコメントが話題を呼んだ。発言者はアーティスト、長尾謙一郎。小学館の週刊漫画誌「ビッグコミックスピリッツ」での連載作品が、同日発売号で打ち切りとなったのだ。文はこう続いた。

 〈近頃、「表現の自由」の「自由」の範囲が、狭くなり、日本という国が、きな臭くなってきてるような気がしています。〉

相次ぐ打ち切り


 作品は、売れないミュージシャン2人組が迷い込んだ謎の楽園にまつわる物語だ。日本に核弾頭が飛来し、街頭演説中の政治家が射殺され、総理が半裸で錯乱し-。展開するのは刺激的で不条理な世界。しかし打ち切りの理由は説明がなく、どの部分が問題とされたのか分からなかった。

 以前も同じ経験があった。その前々作の「ギャラクシー銀座」は09年の文化庁メディア芸術祭で審査委員会推薦作品にまで選ばれたが、打ち切られた。やはり理由は不明だったが思い当たる節があった。長尾は「ギャグのつもりで、ある“政治的に不当”なシーンを描いてしまった。その号を発売してすぐに言い渡された」と振り返る。

 デビューは1997年。当時のタブーは芸能人の実名や顔を描くことぐらいで「後はどんなことをやっても大体よかった」。「革命」、つまり作品一つで世界の観念を変えることを目指す長尾は、より斬新な表現を目指し「現場の反応を見ながら表現を拡張してきた」という。だが-。

クレームで自主規制


 2010年、児童ポルノへの対応を厳格化した「東京都青少年の健全な育成に関する条例」の改正があり、性的な表現の制限が進んだ。そして東日本大震災以後、よりタブーの広がりを実感した。事実、放射能の表現をめぐり漫画「美味しんぼ」(雁屋哲作、花咲アキラ画)が社会問題となった。

 「いろいろなクレームが、読者から来るみたい。だから文句がありそうなことは避けようと自主規制が激しくなる。それでどんどん業界が小さくなっている感覚がある」と長尾は吐露する。

 自由に描くには、どうしたらいいか。たどり着いたのが、出資を募り企画を実現する「クラウドファンディング」だった。「クリームソーダシティ」の続編への投資をことし5月から募り、目標額200万円の倍近く集まった7月11日に締め切った。

 実は長尾はクラウドファンディングと同時に、肩書を漫画家からアーティストに変えた。「つきつめて考えると権力とは自分自身。善悪を超えた存在(アーティスト)として旋回していく。ここがだめならどこかに行けばいい。出版社がだめならインターネット。日本がだめなら外国に」。これが、長尾が達した現在の心境だ。

 「漫画は欲望を発散する媒体。規制もかなり進んでいる」。美術評論家のアライ=ヒロユキは語る。人々の心情を描く作品が多い文芸より、直裁(ちょくせつ)的に現代社会を表現する漫画が規制されやすいことは、長尾をはじめ数々の実例が物語る。

人間の器小さく


 アライ自身は、ここ数年で美術評論を書く際に「事前検閲」の経験が増えた。美術館などに発表前の記事の開示を求められ、時に手直しを持ちかけられる。もちろんすべてには応じないが「(作品の)商品価値をどう高めるのか、ということが大事で、客観的な批評、論評の立場は狭くなっている」と感じている。

 背景には作品を自分の「所有物」ととらえ、それを侵されること、つまり自由な評論を嫌う心理がある。「人間の器が小さくなっている。自分の領分や所有、気分を侵され、邪魔してほしくない、と」

 出版物の規制はもちろん美術館など公的施設からの作品の排除が近年、増えている。だがそれらは法律に反したからそうされたわけではない。あくまでも自主規制だ。「周りの人間への気兼ね、忖度(そんたく)がそういう形で表れている」とアライは指摘する。

 社会矛盾を指摘し意見を表明すること、あるいは負の歴史を語ることを許さない空気もその延長線上だ。心の奥底がざわめくことなく中立的で気持ちが良い空間を共有することが最重要視され、それに波風を立てるものが忌避されるのだ。

 「でも、そもそも人は、人との間で振る舞う存在だ」とアライ。お互い思想や意見の相違は当たり前で、それでも意見を交わし刺激し合い、新たな物が生まれる。それは「表現の自由」の最大の効用といえるだろう。だが現在は。

 「権利のせめぎ合い、調整という低いレベルに表現の規制の問題が落とされている。表現が個人の単なる主張、感情をみんなとすり合わせるだけの問題でしかなくなっている」。こうした状況から抜け出せるのだろうか。アライは続ける。「ほかの価値観を持っている人をちゃんと理解しようとして、議論するところから始めないと。気持ちいいだけじゃ、だめなんだ」

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