みなさん初めまして。コアラモード.のキーボード、ギター、ベース、ドラムなどを務めている小幡康裕と申します。カナロコで僕たちの初コラム「ゆ~かり言葉」が始まりました。第1・2回はギター、ボーカルのあんにゅが、音楽を好きになったきっかけなどを書いています。第3回では、2人でコアラモード.が誕生するまでなどを話していきます。
共通の知人が導いた出会い
小幡)あんにゅと出会ったきっかけは、あんにゅのバイト先に、共通の友人がいたことでした。「すごい歌がうまい女の子がいるんだよ」と言われて渡された録音の入ったCDを聴いたのが始まりで、「こんなすごい声で歌う子がいるのか」と驚きました。コアラモード.としてステージに立つとき、僕は主に鍵盤を担当していますが、最初に始めた楽器はドラムでした。夢中でたたいていた10代のときは、ドラマーになるんだと決めていましたが、ギターやベースも並行してやっていて、少人数でライブができるようにと、19か20歳くらいから本格的にピアノを練習するようになっていったんです。
あんにゅ)小幡さんに最初に出会ったときは、バンドでドラムをたたいていて、次に見たときはキーボードを弾いていたので、多才な人だなと思いました。最初は共通の友人と3人でバンドを組んでいましたが、解散をしてしまって、その後はそれぞれ別に活動をしていました。小幡さんが出演していたライブを見たとき、観客の人からリクエストをしてもらい、その場で演奏するというのをやっていて、小幡さんは何でも弾くことができてしまうので、「これは頼りになる!」とライブで鍵盤の演奏をお願いしたり、あと私の曲のアレンジなどをお願いしていました。
互いの才能にひかれ結成を決意
小幡)僕は、「一緒に組むなら、説得力がある歌い手」と決めていたんです。赤ちゃんが「おぎゃー!」と泣くと、「どうしたんだ?」とパッと目がいくと思うんですけど、あんにゅの声はそんな風に人を捕らえる声をしています。歌い始めたら、どうしても耳と目がそちらに呼ばれてしまう感覚があるんです。人を呼ぶ周波数というんでしょうか。それは、あんにゅと組もうと決めた大きなポイントでした。
あんにゅ)ユニット名を決めようと考えついたのが「コアラモード」でした。私が似ていると言われる「コアラ」。そして、「アラモード」は横浜が発祥だと言われているデザート「プリンアラモード」からとったものです。プリンやメロン、クリームなど色んなものが1つのお皿にのっている「プリンアラモード」の多様な魅力と、ポップな曲、しっとりとした曲などたくさんの曲を作ってきた私たちのバリエーションの多さ、振り幅が似ているんじゃないかなぁと思って。最後についている「.」は、ドットとは読みません。名前を決めた当初はなかったのですが、昨年7月に風水芸人の出雲阿国(いずものおくに)さんに、「いまのままじゃ字画があまり良くないわ。1画足すともっと良くなるわよ」とアドバイスをいただいて、いろいろ考えた結果「.」を付けることに決めました。
「.」に込めた意気込み
小幡)2枚目のシングル「Dan Dan Dan」では、同じレーベルの先輩、スキマスイッチの常田(真太郎)さんが、クリエイティブ・ナビゲーター として制作に携わって下さいました。スキマスイッチで鍵盤を担当されている常田さんはあこがれの存在。デビュー前、常田さんが雑誌で使っている機材を公開しているのを見て、同じものを買いそろえたこともありました。レコーディング終了後、常田さんに「これから先は音楽のことはライバルだから教えないよ」と言っていただいて、同じ土俵で戦っている1人として見てもらえたのかと、背筋がピリッとなりました。コアラモード.の「.」には、「意気込み!」の思いも込めています。次回は、2人で行った初めての曲制作のことなどを話していきます。