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結成26周年を迎えたLUNA SEAのギタリスト〈7〉
SUGIZO「決めた覚悟」

カルチャー | 神奈川新聞 | 2015年5月29日(金) 03:00

1990年1月8日、拠点にしていた「町田プレイハウス」で=SUGIZO提供
1990年1月8日、拠点にしていた「町田プレイハウス」で=SUGIZO提供

 --トントントントン。

 腰掛けているSUGIZOの長い指が、ゆったりと空を踊っている。小指から、薬指、中指、人差し指が順にテーブルをたたく。空気をかき混ぜるように動く指は、口を結んで周囲を見渡すSUGIZOとは違って饒舌だ。

 --トンタタ、トントントン。

 「状況はどうかな」「待ち人はどうしているだろうか」。少し速くなったリズムはそう言っているように聴こえた。

 ギターやバイオリンで心を表現してきた肉体は、触れたものに色を与え、音符を生み出してしまう。マッチ棒の頭薬でマッチ箱の横薬をこすると、その摩擦で火が生まれるように。音の魔法をかけるのだ。

 肌に似た感覚があった。それは、2014年4月10日。読売新聞社が社屋の中に建設した東京・よみうり大手町ホールでのこと。同ホールではこの日、作家の辻仁成が芥川賞を受賞した「海峡の光」の舞台リハーサルが行われていた。同作で音楽を担当したSUGIZOは、早朝まで修正していたという音楽を携え、うっすらと赤くなった目をサングラスで隠し、翌日の本番に向けて汗を流す演者たちを見つめていた。

 18年ぶりに再会した同級生を軸に展開する物語。いじめっ子と、いじめられっ子だった二人は、北海道・函館の刑務所で、傷害事件を起こした新入り受刑者と、刑務官として同じ空間で時を重ねることになった。制限された生活の中で、耳をくすぐる波の音、空を羽ばたくカモメの声は、堀の中と外にある見えない壁を浮き彫りにした。男だらけの日常、「唯一、惚れた」という女との愛欲の日々を語る異分子は、みだらな欲望を抱かせた。雑居房の中にわき上がる衝動。SUGIZOは、受刑者たちに揺れ動く心を手拍子で表現することを求めた。

 「音に合わせて、こういう感覚で」とSUGIZOが左右の手を合わせたとき、空間に色が見えた。タンタンタンタン--。繰り返し、繰り返し、繰り返し、手を打っていく。SUGIZOのリズムに合わせ、演者も手を合わせる。打つごとに上がる体温。火打ち石を重ねたとき、散る火花のような熱が、そこに生まれていた。

 冒頭記したSUGIZOがテーブルを指でなぞっていたのは、2014年11月28日。東京・代々木であった辻のコンサートを訪れていたときのことだった。ブルースのように言葉を投げかける辻のライブは、言葉が引っかかると、集団の中にいてもシュッと一人の世界になる。禅に似ているといつも思う。「どこから来たの?」「どこに行くの?」。私は知っている。目黒の自宅を出てここまで来て、またあの部屋に戻ると。でも--。本当にそうなのだろうか? 言葉はさらに続く。「生きているのか死んでいるのか 分からなくなっているいまの自分……」。生きるとは何だろう……。

 ステージを終えた辻が、SUGIZOのもとにやってきた。多くの言葉は交わさなかったが、通じていることはよく分かる。横に座った辻の熱を左半身で受けながらいるSUGIZOは「辻さんはやっぱり詩人だよね。僕は音を構築することはできるけれど、辻さんのようには絶対になれないから。あこがれなの」と口を開いた。青い炎、真っ赤な炎。色は違うかもしれないけれど、二人はいつも燃えさかっている。

 別れのとき。SUGIZOは12月21日に決まっていたLUNA SEAのライブのことを指し、辻に「じゃぁ、次はさいたまスーパーアリーナで!」と声をかけた。「うん」と応えた辻。黒の上着をひるがえし去っていくSUGIZO。その背中に辻は「いいなぁ、かっこいいなぁ、オレも言ってみたいなぁ」と弾んだ声で言った。顔をのぞくと、恋い焦がれる少女のような目をしていた。音の世界で通じ合う二人は、再び共演することを約束している。【西村綾乃】

第7回 -覚悟-




 「覚悟は16(歳)ぐらいからしていた。音楽で生きていくことに揺らぎはなかった」。

 真矢、J、INORAN、RYUICHIとの出会いは、それを立体化させた。「自分と同じか、それ以上の覚悟があるやつと出会った」。近いアティチュードで分かり合える。怒りを発散するために威嚇し、無差別にぶつけていたエネルギー。怒りは変わらなかったが、対話できる仲間を得たことで、それを音楽にするどく向けることができるようになり、原動力へと転換させた。

 出会いに励まされた一方で、ライブハウスの店長や音楽ライターなど、自分たちの音楽を広げる場の入り口に立つ人間からは「何で男が化粧して女みたいな格好をしているんだ?」「君たちは何なんだ? やりたいことが全く分からないよ」と吐き捨てられた。それは和食、中華など料理をジャンルでくくるのに似ている。しかし歴史の“革命家”たちは、両極にあるものを融合させ、未知の世界を提示してきた。ロック、メタル、パンクなどジャンルで大ざっぱにくくり、その世界は“こういうもの”と決めつけたがる大人たちは、飛び出した頭をへこませようとにらみをきかせたが、牙をむきあらがい続けた。

 ロックを基本に、耽美的で宇宙的な広がりを持った5人の世界。生まれ育った日本、そして影響を受けた英米、自分たちを開眼させたものすべてを取り入れた音は、どこにも属することなどできず、異彩を放っていた。周囲から向けられた雑音は、「得意なことはバイオリンでしょう」と決めつけられていた子ども時代の苦い記憶を頭によぎらせたが、煮えたぎる怒りは心の奥に。「オレ、これで成功しますから。見ていてくださいよ」と口角を上げることができた。「根拠はなかった。でも自信があった。分からないやつには、分かってもらえなくてもいい」。「自分が信じることをやりたい」「周りのロックはつまらない」。信頼できる仲間と生み出した音は、五人を光りの中へと導いた。

 「LUNACY(現LUNA SEA)を始めたばかりのころはね、1週間前がもう過去に感じていたんですよ。スピードがとにかく速くて。進化を繰り返していたんでしょうね」。

 1990年の春ごろ、若手バンドを発掘に力を入れていたX JAPANのHIDEがうわさを聞きつけ、五人を訪ねた。運命の出会いは推進力になった。4月には今や「第2の故郷」としている大阪にあった「MODAホール」で初めて関西に飛び出していく。当時、Jが「関西で1番怖いバンド」と恐れられていた「AION(アイオン)」のローディーを務めていたこともあり、彼らからイベント参加の誘いを受けたことが縁だった。ぼろぼろの機材車でようやくたどり着いた地。「全員関西弁だな」「外国に来たみたいだな」と衝撃を受けた。

 大阪を筆頭に名古屋、京都などで開いたライブは各会場でチケットが完売する人気に。現在、LUNA SEAのコンサートを陰で支えている興行会社の杉本圭司社長や、ラルク・アン・シエルが所属する事務所の大石征裕社長らから「一緒に組もう」と声をかけられ、争奪戦状態になった。だが、「メジャーに行くのはまだ、早い」と差し出された手に背を向けた。1991年に全国7カ所をまわり、約2800人を動員した「アンダー・ザ・ニュー・ムーン・ツアー」を終えたころには、耳が早い業界人に知られるようになり、「雑誌の表紙をやらないか」と持ちかけられたが、これも拒絶した。「ある雑誌の編集長に、『次の表紙はLUNA SEA』だからって言われて、『マジっすか?!』って思ったけど、今じゃないと思って。確実にやりたかったんです。何もかも。やらされているじゃなく、自分たちが選んで決めた。全部自分たちでコントロールするんだってね」。

 自分たちの強みをどう体現するか。目指す目標に向け、どう進むのか。「大人に触らせたくないから、プロデューサーをつけたくない」「アルバムからデビューしたい」など希望を聞き入れてくれたのが、ビクターの関口明ディレクターだった。SOFT BALLETを手がけるなどアーティストからの信頼が厚く、また音楽への愛が深く「一緒にやるならこの人だ」と直感だった。

 地に足を付け、思いを貫かせてくれた亡き恩人に感謝している。1000分の4の音のズレにまでこだわったアルバム「IMAGE」は1992年5月21日に発売された。


「町田プレイハウス」で。HRギーガーのグラフィック使用のギターを手にしている=SUGIZO提供
「町田プレイハウス」で。HRギーガーのグラフィック使用のギターを手にしている=SUGIZO提供

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