灰色の雲が空を覆い、花散らしの冷たい雨が降り続いている。どんよりとした空気が行き交う人の顔をうつむかせる。冬のような陽気にあわててコートを引っ張り出した。線路沿いを歩き取材に向かう間に、私の背も曲がっていたことに気がついた。深呼吸-。顔を上げスタジオに続く細い階段を登っていく。小さな扉を開けるといくつもの視線が私を射った。外は雨でひかりを感じないが、いる人それぞれからまぶしい気を感じ、扉をそっと戻した。意を決し再度扉を開け、話ができそうな人を探した。目を止めた先にいたのは演出家・俳優として活動しているスガマサミ(40)だった。
スガが脚本と演出、そして俳優として出演する舞台「黒き憑き人」は23日から東京・池袋にある劇場「シアターグリーン BOX in BOX THEATER」で幕を開ける。スタジオはその稽古の真っ最中だった。物語は若者を中心に人気を誇ったバンド「フェアドレッグ」のボーカル倉菱礼が、死神と出会ったことによって死と向かい合い、人間同士のつながりの大切さに気がついていく姿を描いた。演者は全17人。その中に、昨年12月に人気バンド「SCREW」を脱退した塩原康孝(31)の姿があった。
スガは「舞台の中でみせるライブに臨場感を持たせたい」と、裏側をも知っているミュージシャンを探していた。塩原との出会いは今年2月。甘いマスク、人気バンド…のイメージに「ちゃらちゃらしているんじゃないか」との思いもよぎったが、その真っすぐさに打たれた。塩原は演技未経験だが、スガは「こう演じて」と押しつけることはしない。演者を観察し、その個性を活かすことができるよう脚本を“進化”させる。その柔軟さを、スガは「自分で本を書いている強みだ」と笑った。
「シーン55なんだけど」。スガの問いかけに、演者が集中する。役の心情など細かな部分を確認していく。クリップで止めた台本に書き込みをする人もいる。個々が目標に向かいひとつになり、研ぎ澄ましていく様子は、歌詞や音符に込めた思いを確認し作業をする曲作りなどに似ていると感じた。
中学3年生のときからの相棒であるベースとともにベーシスト役で舞台に挑む塩原は、「素の自分のままでいられる」と気負いがない。演じる役・島田裕市は、周囲と激しくぶつかり合う場面もあるが「人と意見が違うときは、ズバズバ言う方」と自分を重ねる。スガは「シャイだけど舞台に立ったときの存在感は他の演者をしのぐほど。舞台の方が素が見えるんじゃないかな」と塩原を見つめる。塩原は「演技とライブは似ている」。さらりと言った。リラックスした表情を引き出したのは、スガの手腕にほかならない。
「30歳の誕生日を迎えたとき、この先の10年を考えた」という塩原。「音楽のほかにも知りたいことがある」と脱退を決意した。国内外にファンがいる人気バンド。メジャーデビューを渇望するバンドが少なくない中、プロデビューの切符を手に入れ、結果を残し続けていたが、ゼロからスタートすることに迷いはなかった。
バンド一直線だった自分と別れ、知らないことの多さに気がついた。音楽に集中できる環境を整えてくれていたスタッフはもういない。バンドを離れてすぐ目標としていたアパレルブランドを立ち上げた。どんなこともすべて自分主導でまわる。「難しいこともある。でもやりがいがある」と充実している。そして支えてもらっていたことに改めて感謝をした。もちろん、思いを尊重してくれたメンバーにも。
本名も年齢もさらけ出した自分をいまは心地よく感じている。「すごくフラットに物事を見られるようになった」。求められる姿に“応えなくては”という重圧から解放されたのだろう。「どんなときも、ベースを触っていると落ち着く」。舞台のその先で-。相棒をうならせる塩原の姿に期待したい。
舞台は26日まで、全7公演。上演後に行うトークショーまたはスピンオフはすべて内容が異なるという。【西村綾乃】