絢爛(けんらん)な文体で性の神秘と女性崇拝をうたい上げ「悪魔主義」と呼ばれた文豪・谷崎潤一郎(1886~1965年)。芸術至上主義を貫きわが子の誕生さえ疎んじたとされるが、素顔は娘の身を案じる子煩悩な父親だった-。従来の谷崎像を覆す、娘の鮎子さん宛ての書簡225通を遺族が初公開した。県立神奈川近代文学館(横浜市中区)で4日に始まる「没後50年 谷崎潤一郎展」で、70通が展示される。
谷崎は生涯に3回の結婚を繰り返し、妻にも芸術的インスピレーションを求めたという。最初の妻、千代さんとは、刺激を受けないとの理由で離縁。間にもうけた娘が鮎子さんだった。
生活も芸術のためにあり、子どもへの愛情も薄いと考えられていた。そんな人物像とは裏腹に、千代さんの再婚相手である詩人・作家、佐藤春夫の元で暮らす鮎子さんには頻繁に手紙を送っていた。文面からは、娘が不自由をしていないか心配する文豪の姿が浮かぶ。
1938年、年ごろの鮎子さんに宛てた手紙では「パーマネントは小生が趣味として不賛成なのではなく、あれをすると毛が赤くなり減る恐れがどうしてもある…」と身なりを気遣った。
書簡は鮎子さんの長男で、兵庫県・芦屋市谷崎潤一郎記念館名誉館長の竹田長男(ながお)さん(68)が受け継いだ。「冷淡な父としての人間像が根づいているが見直してよいと思った」と、谷崎没後50年のことし、公開を決意したという。
近代文学館の野見山陽子さんは「谷崎については研究されつくした感があったが、死後50年もたって知られざる姿が分かったことに驚かされる」と話す。
同展では、「春琴抄」執筆での悩みや人妻への秘めた思いをつづった佐藤春夫宛ての書簡1通も公開される。
5月24日まで。月曜休館(5月4日は開館)。一般600円。問い合わせは同館電話045(622)6666。