
1853年のペリー提督来航時に黒船へ乗船して対応した浦賀奉行所与力、中島三郎助をしのぶ催しが25日、横須賀市浦賀の住友重機械工業機関工場で開かれた。三郎助を描いた垂れ幕の下、多くの家族連れらが幕末の偉人に思いをめぐらせた。
地元住民らでつくる中島三郎助と遊ぶ会の主催で21回目。
三郎助は日本初の西洋式軍艦を浦賀で建造し、桂小五郎(木戸孝允)に造船術を教えた。戊辰戦争では箱館(函館)で新政府軍と戦い、息子とともに戦死。終焉(しゅうえん)の地である函館市中島町は「父子の忠節にちなんで名付けられた」とされる。
会場では三郎助の足跡をたどるパネル展が開かれ、ひ孫の中島恒英さん(69)=海老名市=も来場。展示に見入っていた女性(67)=横須賀市港が丘=は「ペリーとの交渉役を務めたのは有名だが、函館まで行って戦っていたのは初めて知った。勉強になった」と話していた。
模擬店や市立浦賀中学校による吹奏楽演奏、ゴスペルソングなども会場に花を添えた。遊ぶ会会長の大内透さん(68)は「こうして子どもたちや地域住民が集う場をつくることで、浦賀の町を愛していた三郎助の思いを継ぐことにつながってほしい」としていた。
【神奈川新聞】