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市制90年 川崎今昔記〈8〉広がる芸術のうねり

カルチャー | 神奈川新聞 | 2014年7月10日(木) 10:00

リニューアルオープンしオーケストラの調べが響いたミューザ川崎シンフォニーホール=2013年4月1日、川崎市幸区
リニューアルオープンしオーケストラの調べが響いたミューザ川崎シンフォニーホール=2013年4月1日、川崎市幸区

7月1日、開館10周年を迎えた「ミューザ川崎シンフォニーホール」(川崎市幸区)に、感慨深げに舞台を見詰める市文化財団・北條秀衛理事長(68)の姿があった。

「ようやくここまで来たか、という感じ。ほぼ10年間一緒に歩んできたからね。きょうからまた新たなスタートです」

ミューザは「音楽のまち・かわさき」のシンボルとしてオープン。市幹部を歴任した北條さんは、阿部孝夫市長(当時)とともに、音楽のまちづくりに取り組んできた。

「第二のサントリーホールを狙おうじゃないか。音では負けちゃいけないと、かなり意識した」

東京交響楽団の本拠地となり、「最愛のホール」と称賛する国際的音楽家も。「世界屈指の音響」として市民にもその存在が根付いていった直後、悲劇に見舞われた。2011年3月11日、東日本大震災で天井の一部が崩落。2年間の休館を余儀なくされた。

■復活に向け奔走

「『音楽のまちの灯』は絶対に消さない。その一心だった」

震災直後の4月、ミューザの事業部長に就いた田村豊さん(54)=現・市産業振興部長=は、払い戻しや代替公演の会場探しに奔走。市民集会に顔を出してはチケットの販売を呼び掛け、ホールの状況や今後の予定などを説明して回った。時には「あんなホール復活しなくてもいい」との声に唇をかんだこともあったが、支援と理解を訴え頭を下げ続けた。

あの日から丸2年。結果的にミューザでの取り組みは洗足学園音楽大(高津区)や昭和音楽大(麻生区)、ホールを持つ市内企業などへと広がり、ファンも増えていった。けがの功名とされる一方、田村さんはそこに「音楽のまちの底力」を見いだしていた。

そして13年4月、悲願のリニューアルオープン。ミューザのホールに再びオーケストラの調べが響いた。「涙が出た。震災の時とは全然違う味だった」

■地元にこだわり

文化・芸術の息吹は、市北部にも広がりを見せる。代表例が「川崎・しんゆり芸術祭(アルテリッカしんゆり)」だ。麻生区の小田急線新百合ケ丘駅周辺にあるホールを活用し、09年にスタート。大型連休中、オペラや演劇、落語など多彩な芸術文化をそろえ、今では約3万人が来場する。

「市北部は文化、芸術の資源にあふれている。『新百合ケ丘』そのものを芸術の街として売りこもう」。創設に関わった北條さんが当時の思いを打ち明ける。

こだわったのは徹底した「地元主義」。地域の芸術家や文化人、市民らが手を携え、誰もが楽しめるイベントを目指した。多摩区や宮前区でも開かれるようになり、多摩区在住で10年から出演する落語家の桂米多朗さん(48)は「子どもの来場者も増え、輪が広まっている」と目を細める。

文化・芸術の街として大きく変貌を遂げた川崎。北條さんは、こんな将来像を描く。「出演者とサポートする市民、それをつなぐ行政が絶妙のハーモニーを奏でれば、川崎は『本当の芸術の街』になる」

【神奈川新聞】

 
 

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