
「誰よりも鎌倉を愛していた」と評された男性が5月、息を引き取った。毎日のように鎌倉へ足を運び、移ろう四季の風景をカメラに収めた。写真は鎌倉市観光協会主催のコンテストで4度の最優秀に。鎌倉検定でも最難関の1級に最高得点で連続合格した。鎌倉商工会議所は「鎌倉ものしり博士」第1号に認定、男性の「鎌倉愛」をたたえた。
宮越洋二さん(享年70)=横浜市=の自宅リビングに飾られた写真の数々。残された作品の中に、紅葉した建長寺を眼下に、遠く相模湾まで見晴るかす1枚がある。
「ここまで視界が晴れることはそうない」。宮越さんが師事した写真家・原田寛さん(65)=鎌倉市大町=が、解説する。そのときこの場に宮越さんがいたのは「決して偶然ではないはずだ」。
最良の瞬間を捉えるため、建長寺から撮影場所の勝上献展望台へ続く400段もの階段を、一体何度上ったのだろう-。原田さんは思う。「宮越さんは、誰よりも努力し続ける人だった」
勤勉な性格だった。古都にある金沢大を卒業し大の歴史好きだったこともあり、鎌倉には二十数年前からほれ込んだ。こだわりはとことん追求する宮越さんは、ポケットのたくさん付いたベストにカメラバッグを提げ、ミニバイクで出掛けていった。
毎年開かれる「鎌倉フォトコンテスト」で4度の最優秀は、これまでで最多の受賞回数だ。ポスターやカレンダーに刷られた作品が、鎌倉の街中を彩った。
もう一つ、熱心に取り組んでいたのが、鎌倉商議所主催の鎌倉観光文化検定試験。3級から始まる過去7回の試験にすべて合格。漢字の書き取りミスも減点となる1級で90点台の最高得点を取り続けた。それでも満足せず、「満点を取りたい」が口癖だった。
だが昨年の晩秋、膵臓(すいぞう)がんが見つかった。今年2月には緊急手術を受けた。それでも、11月の鎌倉検定に向けた勉強はやめなかった。神奈川新聞に載る鎌倉の記事を欠かさず切り抜いた。
鎌倉商議所は急きょ、「鎌倉ものしり博士」を創設した。鎌倉検定の成績優秀者を顕彰する称号だが、「他の受検者と比べ成績が別格だった」という宮越さんへ、敬意を表するためでもあった。
ものしり博士に認定された1週間後の5月5日、新緑が鎌倉を彩るころ、宮越さんは息を引き取った。
ツツジが散り、アジサイも見ごろを終えようとしている鎌倉の7月。宮越さんがカメラを向けることはもうない。
「鎌倉を愛した集大成として、形に残してくれた」。ものしり博士認定に、家族は感謝を口にする。今は、宮越さんと「鎌倉愛」を同じくする第2号の誕生を心待ちにしている。
【神奈川新聞】
