
関東大震災で荒廃した金沢文庫や称名寺の再建に力を尽くした戦前の実業家・大橋新太郎(1863~1944年)を顕彰する碑が、横浜市金沢区で6日にお披露目される。計画したのは、新太郎の別荘跡などに戦後造成された同区の西柴団地(約1800世帯)の有志。「寝に帰るだけだった」というかつての新住民が、退職を機に地域の「履歴」に目を向けた。
碑は同区の金沢町第二公園に設置。高さ1・5メートルほどの御影石に「大橋新太郎別荘跡」「生誕百五十周年記念」と刻まれている。
「住民のアイデンティティー(同一性)形成や町おこしにつなげたい」。10人ほどの住民が昨年9月につくった「大橋新太郎別荘跡碑建立発起人会」代表の太田耕蔵さん(79)は話す。着目したのは、新太郎の金沢に対する愛着だ。
かつて金沢八景と称され、20世紀初頭まで名残があった風光明媚(めいび)な入り江を新太郎は愛し、近隣に工場が進出する際に景観保護を約束させたという。また、関東大震災で倒壊した金沢文庫の再建のため28(昭和3)年、現在の5億円に当たる5万円を県に寄付。鎌倉時代からの歴史がある称名寺の再興にも取り組んだ。
県立金沢文庫(同区)の西岡芳文学芸課長は「戦前の称名寺周辺の景観は、大橋家によって守られたといえる」と説明する。
しかし戦後、大橋家の土地は西武グループの手に移り、ゴルフ練習場などを備えた「遊園地」を経て宅地化の対象に。称名寺の裏山を削る計画が60年代半ばに立てられ、研究者や市民らが保存運動を展開した。西柴団地は、こうしたせめぎ合いの中で誕生した。
「ほとんどの人は土地の歴史を知らなかった。ここに移ってきた当時は高度成長期の真っただ中で、働きづめだったから」。西柴団地自治会(約1500世帯)の上田利隆会長は振り返る。住民の出身地は北海道から沖縄までさまざま、というのも理由の一つだ。
以来45年余り、同団地は少子高齢化に直面し「いかに若者を呼び込むか」(上田会長)に腐心する。今、新太郎を再評価する意味を太田さんは語る。「私たちの古里は単なる造成地ではなく、金沢を愛した新太郎が暮らした場所。“恩人”のロマンを受け継ぎたい」
碑の「お披露目会」は6日午後2時から。
◆大橋新太郎 明治~昭和期の実業家。現在の新潟県長岡市出身。総合出版社・博文館の草創期の経営に関わり、雑誌「日本大家論集」を企画し一時代を築く。欧米を訪問した父・佐平の遺志を受け、私財を投じ1902(明治35)年、国内初の本格的な私立図書館・大橋図書館(現・三康図書館、東京都港区)を開設。衆院議員なども務めた。金沢に工場が進出する際は景観保護のほか、地域住民の雇用も求めたという。尾崎紅葉の小説「金色夜叉」で、間貫一の婚約者・お宮を横取りした富豪の富山唯継のモデルとされる。
【神奈川新聞】

