江戸時代後期に活躍し、今年、生誕260年を迎えた浮世絵師、葛飾北斎(1760~1849年)の肉筆画の魅力を紹介する「北斎の肉筆画」展が、岡田美術館(箱根町)で開催中だ。80歳を過ぎて「画狂老人」と名乗り、数え年90まで絵筆を握った北斎。同館が所蔵する肉筆画10点をはじめ、版画や春画など約30点によって初期から晩年までの画業をたどり、華やかな技巧に迫っている。
北斎の肉筆美人画を代表する傑作と高く評価されているのが「夏の朝」と「美人夏姿図」だ。どちらも50歳前後に手掛けており、会場では隣同士で並ぶ。
「夏の朝」は、鏡に顔を映した女性の後ろ姿を描いた。床には現在の歯ブラシに当たる房ようじと歯磨き粉の袋、朝顔が浮かぶうがい茶わん。赤い金魚が泳ぐ涼しげな陶製の鉢も並ぶ。
同館の稲墻(いながき)朋子学芸員は「当時、帯を後ろで結んだ若い女性は、芸者か一般女性のどちらか。当館では一般の女性で、夫より早く起きて身支度をする若い妻と解釈している」という。
「美人夏姿図」は、顔を下に向けて、腰の白いしごき帯を締め直す女性のしぐさを捉えた。ハギの花模様が白く浮き出た着物は薄物で、赤いじゅばんが透けている。しごき帯やじゅばんの白い襟にも白色で模様が描かれており、細部まで手が込んでいる。
この時期の北斎は人物の心の動きを描こうとしていたという。女性のうつむいた顔は、愁いのある表情に見える。
画面に緊迫感が漂うのは「堀河夜討図」だ。源義経が不仲になった兄、頼朝の送った刺客に夜襲された場面を描く。出陣の準備をする義経、太刀を差し出す静御前、身構えた弁慶の3人をS字状に配置。毅然(きぜん)とした義経、あでやかな静御前、すごみのある弁慶、と各人の表情が見どころだ。
北斎は画家としての名前である雅号を、頻繁に変えた。同作には「為一(いいつ)」と署名しており、61歳から70代前半までに当たる。「冨嶽三十六景」などの版画に注力していた頃で、肉筆画が少ない中での名品だ。
80歳を超えると、署名に自身の年齢を加えた。「雪中鴉図」は「画狂老人卍 齢八十八歳」との署名があり、数え年88歳の作品。雪の積もったくいに止まる1羽のカラスを描く。
背景は暗く、不気味な雰囲気が漂う。薄墨に濃い墨を重ねて立体感を出したカラスは、口を開けて鳴いているようだ。羽のあちこちに鮮やかな藍色を施し、カラスのぬれ羽色を見事に表現。真っ黒な瞳が異様さを感じさせる。
死の床で「あと5年生きたら、真正の画工になれるのに」と無念さを口にした北斎。最期まで絵に対するすさまじい執念を見せた。
稲墻学芸員は「肉筆画は一作ずつ注文を受けて描かれた場合がほとんどで、絵師の技量が読み取りやすい。髪の毛の一本一本、着物の柄、帯の線の強弱の付け方など、細かい描写が見られるのが、肉筆ならではの魅力」と話した。
9月27日まで。一般・大学生2800円、小・中・高校生1800円。問い合わせは同館、電話0460(87)3931。