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【桂歌丸さん死去】「師匠、ありがとう」惜別の地元商店街

カルチャー | 神奈川新聞 | 2018年7月4日(水) 02:00

桂歌丸さんの献花台の前で、手を合わせる地元住民ら=横浜橋通商店街
桂歌丸さんの献花台の前で、手を合わせる地元住民ら=横浜橋通商店街

  生まれ育った地元・横浜で寄席やイベントに積極的に出演し、演芸番組「笑点」では軽妙な語り口で親しまれた落語家の桂歌丸さん。訃報から一夜明けた3日、自宅近くの横浜橋通商店街(横浜市南区)に献花台が設けられた。親交のあった地域住民に加え、都内などから1200人を超えるファンらが別れを惜しみ、81年の生涯を閉じた希代の師匠の冥福を祈った。

「庶民の言葉で心つかんだ」


「歌丸師匠、本当にありがとう」と書かれた横断幕が掲げられた=横浜橋通商店街
「歌丸師匠、本当にありがとう」と書かれた横断幕が掲げられた=横浜橋通商店街

 歌丸さんは長年にわたり商店街で買い物や飲食を楽しみながら商店主らと交友を重ねた。「歌丸師匠、本当にありがとう」と記した横断幕も掲げられた。

 66年来の常連だったという理容店ユカワの店主湯川豊さん(57)は「実家の両親が突然亡くなったぐらいの感覚」とショックを隠さない。父親から引き継いで25年間、歌丸さんは月に1、2回訪れては髪を整えてきた。一番手前の席を愛用。「4月上旬にもふらりと来たばかり。散髪中、冗談を言っては元気そうにしていた」としんみりとした表情で語った。


桂歌丸さんとの思い出を語る理容店店主の湯川豊さん。歌丸さんは一番手前のいすを愛用していたという=横浜市南区の横浜橋通商店街
桂歌丸さんとの思い出を語る理容店店主の湯川豊さん。歌丸さんは一番手前のいすを愛用していたという=横浜市南区の横浜橋通商店街


 最初に献花した同市中区で中国籍の王朱紅さん(53)は30年以上前に来日して以降、「笑点」で日本語を学ぶ。次第に聞き取れるようになり、やがて歌丸さんの熱烈なファンに。「歌丸さんは庶民が使う言葉で私たちの心をつかんだ。地元のスターであり、私たちの誇り」と涙を浮かべた。


買い物客ら大勢の人たちが、桂歌丸さんの献花台の前で手を合わせた=横浜橋通商店街
買い物客ら大勢の人たちが、桂歌丸さんの献花台の前で手を合わせた=横浜橋通商店街

 近くに住む尾形明子さん(38)は生後6カ月のまな娘、杏珠ちゃんと献花した。「(2年前の)南区総合庁舎のこけら落としの高座に歌丸さんが出演し、とても楽しかった。この子にも師匠の落語を聞かせてあげたかった」と話した。

師匠の地元愛、世代超え


 商店街ではこの日、古典落語の本格派として人気を集めた歌丸さんの落語を流した。商店街近くの三吉演芸場(同市南区)で独演会や桂歌丸一門会を催し、横浜にぎわい座(同市中区)の2代目館長も務めるなど、落語を通して地域の活性化に尽力。商店街の顔として名誉顧問も務めた。

 歌丸さんの地元への思いは世代を超えてつながる。商店街の高橋一成理事長(67)が経営する高橋薬局主催の「よこはまばし寄席」は今年で11年目を迎えた。歌丸さんに相談したところ、弟子の歌助さんらが快く引き受けてくれた。母校の市立横浜吉田中学校でも歌丸さんの同級生らが歌助さんらの落語鑑賞会を開いてきた。


桂歌丸さんの献花台の前であいさつする高橋理事長=横浜橋商店街
桂歌丸さんの献花台の前であいさつする高橋理事長=横浜橋商店街

 「地元への貢献は大きく、愛称を『歌丸通商店街』にしたいという声が理事から上がっている」と高橋さん。献花台は4日も午前11時から午後5時まで設置される。

 一方、横浜にぎわい座には芳名帳が設置された。館長の歌丸さんに別れを惜しむ地元のファンらが続々と記名。100人を超す人々が同館に足を運び、別れを惜しんだ。芳名帳は11日まで、2階の展示コーナーに設置する予定。

親交あった菅官房長官
「お茶の間に笑い届けた」


 落語家桂歌丸さんの訃報から一夜明けた3日、菅義偉官房長官(衆院2区)は会見で「お茶の間に明るい笑いを届け、見る人々を魅了した。突然の訃報に驚きを感じるとともに、本当に残念だ」と述べ、地元でも親交が深かった「師匠」との別れを惜しんだ。

 歌丸さんが菅氏の横浜事務所近くで暮らし、7年ほど前には対談するなど親しい間柄だったという2人。菅氏は人気テレビ番組「笑点」の顔として放送開始から50年にわたり笑いを提供してくれたと功績をたたえた上で、「地域の活動にも積極的に協力され、地元でも大変愛されていた」と振り返った。

 対談で印象深かったやりとりにも触れ、「『70(歳)を超えても噺(はなし)家として勉強するんだ』と言っておられた。なぜですかと言ったら『楽になりたいからだ』と。楽になりたいのはいつですかと聞くと『目を閉じる、そのとき以降だ』と話された」と回顧。軽妙な語り口の一方、どんなに大変でも苦しい表情を見せずに高座に上がり続ける気迫と落語の発展に生涯をささげた姿勢は国民の胸に刻まれているとし、「心からお疲れさまと、ご冥福を祈りたい」と悼んだ。

 
 

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