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【桂歌丸さん死去】評伝 研いだ話芸、究めた人情噺

カルチャー | 神奈川新聞 | 2018年7月2日(月) 18:26

地元の横浜橋商店街にあるお気に入りの喫茶店「ムー」で笑顔を見せる歌丸さん=2009年9月11日撮影
地元の横浜橋商店街にあるお気に入りの喫茶店「ムー」で笑顔を見せる歌丸さん=2009年9月11日撮影

 あくなき勉強家だった。テレビ番組での軽妙な頓才で知られるが、半面、じっくり人情噺に打ち込み、話芸を研ぎ澄ませる、厳しい顔も併せ持っていた。

 初めて取材でお目にかかったのは15年も前になる。新宿末広亭の楽屋。腰が痛いからと火鉢の前で膝を崩して横座りしていた。

 そのころ歌丸さんは円朝の代表作「真景累ケ淵」の通し口演に挑んでいた。この怪談はあまりの長尺ゆえに登場人物も多く、筋立ても込み入って難しく、通しの演じ手はほとんどいなくなっていた。昭和の名人三遊亭円生が8話にわたる録音を残したが、それでも全編の半ばにすぎない。

 歌丸さんの真骨頂はこの演目に表れたといえよう。円生の8話分を半分の4話に仕立て直し、さらに円生も手を出さなかった後半部分から1話加えて5話構成とした。それでいて絡まる因果応報の人間模様を決して損なわなかった。

 この歌丸版は分かりやすく、混沌(こんとん)とした物語の結末も見通す新脚本となった。そこが聴き手に対する大いなるサービス精神なのだった。「推理小説だって途中で切られちゃ困るでしょ。謎のまま、てェのはいけません」と明快だった。

 物語を自家薬籠中のものとした工夫は「牡丹灯籠」「怪談乳房榎」など、その後の演目にも採り入れられ、それ自体がライフワークとなった。「真景累ケ淵」はさらに練り上げて横浜にぎわい座でも再演された。

 明治の昔、ろうそくの炎をかきたて、演者も影法師のように揺れながら幾晩も語り継がれた人情噺。歌丸さんはその豊かな大衆芸能の証しを次代に伝えようとしたつわものである。

 痩身(そうしん)の中からほとばしる気迫。はらむ緊張。つのる愛憎-。情念の世界の怪しさに多くのファンがかたずをのんで聴き入った。

 歌丸さんはよく体の不調や故障を抱えたが、高座はおろそかにしなかった。たとえ腰が痛くとも客の前に出ればぴたりと着座した。そのさまが美しかった。

(元文化部長・福江裕幸)


お気に入りの喫茶店で=2009年10月16日撮影
お気に入りの喫茶店で=2009年10月16日撮影

一門会で「猫の皿」を口演する歌丸さん=2009年10月31日撮影
一門会で「猫の皿」を口演する歌丸さん=2009年10月31日撮影

一門会で弟子の口演を見守る歌丸さん=2009年10月31日撮影
一門会で弟子の口演を見守る歌丸さん=2009年10月31日撮影

横浜橋商店街で買い物する歌丸さん=2009年10月16日撮影
横浜橋商店街で買い物する歌丸さん=2009年10月16日撮影

開場15周年を迎えた横浜にぎわい座=いずれも横浜市中区
開場15周年を迎えた横浜にぎわい座=いずれも横浜市中区

三吉演芸場の控え室で太鼓をたたく歌丸さん。後ろは弟子の桂枝太郎さん=2009年10月31日撮影
三吉演芸場の控え室で太鼓をたたく歌丸さん。後ろは弟子の桂枝太郎さん=2009年10月31日撮影

地元の横浜橋商店街にあるお気に入りの喫茶店「ムー」でインタビューに応じる歌丸さん=2009年9月11日撮影
地元の横浜橋商店街にあるお気に入りの喫茶店「ムー」でインタビューに応じる歌丸さん=2009年9月11日撮影

地元の横浜橋商店街を歩く歌丸さん=2009年10月16日撮影
地元の横浜橋商店街を歩く歌丸さん=2009年10月16日撮影

落語「猫の皿」で懐に入れた猫の仕草をする歌丸さん=2009年10月31日撮影
落語「猫の皿」で懐に入れた猫の仕草をする歌丸さん=2009年10月31日撮影

三吉演芸場で表情豊かに口演する歌丸さん=2009年7月22日撮影
三吉演芸場で表情豊かに口演する歌丸さん=2009年7月22日撮影

三吉演芸場で口演する歌丸さん=2009年7月22日撮影
三吉演芸場で口演する歌丸さん=2009年7月22日撮影
 
 

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