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原三渓没後80周年記念 三溪園と横浜美術大が展覧会

カルチャー | 神奈川新聞 | 2019年8月8日(木) 13:57

「四季草花図」復元図と越智波留香=いずれも三渓園
「四季草花図」復元図と越智波留香=いずれも三渓園

 横浜を代表する実業家で希代の美術コレクターだった原三渓(1868~1939年)の没後80周年を記念し、三渓園(横浜市中区)と横浜美術大(同市青葉区)による展覧会「三溪園と日本画の作家たち」が同園で開催中だ。三渓が支援した日本画家たちの作品や失われた障壁画の復元図、現代の若手日本画家たちによる作品が並び、同園の歴史を現代につなげている。

 園内の三渓記念館では、三渓が支援した横山大観や今村紫紅、速水御舟(ぎょしゅう)ら、日本美術院を中心とする画家たちの作品約30点を展示。

 三渓が寸評を書き込んだ「再興第一回院展」の図録も並び、下村観山のびょうぶ図「白狐」を絶賛している。9歳から狩野派を学び、古典技法を身に付けていた観山を、三渓は特に気に入っていたという。

 その観山に三渓が依頼したのが、園内にあった「松風閣」の京間10畳の障壁画だ。1912年に完成した障壁画「四季草花図」を三渓は大変喜び、この部屋を「観山之間」と命名した。

 だが、23年の関東大震災で松風閣は倒壊し、同図も失われた。その復元に挑んだのが、横浜美術大の絵画研究室助手、越智波留香(39)だ。春のヤナギから夏のタチアオイ、秋のススキ、冬へと移るモミジまで、障壁画の一部を約1年をかけて完成させた。


廊下の奥に並ぶ合田徹郎の「火の夢」
廊下の奥に並ぶ合田徹郎の「火の夢」

 観山によるサイズの小さな下図が残っており、数枚のモノクロ写真や文献、観山が意識していた琳派の作品などを手掛かりにした。特に、「四季草花図」の2年後に描かれ、ほぼ同じ技法によると推測される「白狐」に注目したという。

 「白狐」のススキには赤茶色っぽい銅泥という特殊な画材が使用されており、「四季草花図」のススキにも生かした。同園の北泉剛史学芸員(37)は、「白狐」の三渓の寸評に「例ノ金泥ニシテ全面ヲ画キシモノ」と出てくるのは、この「四季草花図」を指すといい、両図の関連を認めている。

 文献によると「四季草花図」は金銀泥を使用。「白い和紙の全面を金銀泥で描くことは珍しい」と越智。「伝統的な四季の草花だが、当時としては斬新な技法を用いていた。観山独自の意図ではなく、三渓や岡倉天心が完成を見に来ていることを考えると、日本画の近代化といった広い視野に基づく作品だったのではないか」と話した。

 園内の壮大な和風建築「鶴翔閣」では、京都の若手日本画家グループ「景聴園」の5人と越智の作品約50点を展示。ここは、三渓が支援した画家たちが滞在制作した場でもある。

 松平莉奈の「サルベージ」には、大観が作品の売上金で旧陸海軍に寄付した軍用機「大観号」や観山の「弱法師(よろぼし)」がモチーフとして登場。合田(ごうだ)徹郎の「火の夢」は御舟の「炎舞」をほうふつとさせるすごみのある作品だ。

 企画した横浜美術大の森山貴之准教授(48)は「過去の伝統を見据えて、今の自分たちの絵をどう描くべきかを議論している、日本画としては珍しいグループ。表現は5人それぞれだが、アカデミックに研究しており、作品にも表れている」と話した。

※18日まで。「四季草花図」復元図は10月1日まで展示。入園料は一般700円、小・中学生200円。8月10日午前11時から復元図についての講演会、午後1時から越智と景聴園によるギャラリートークを行う。どちらも先着30人。問い合わせは三渓園☎045(621)0634。

 
 

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