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外の人ではなく「隣人」 著者・ナディさんの思い

カルチャー | 神奈川新聞 | 2019年7月23日(火) 17:27

「異文化ルーツを持つ子どもたちも、ここに一緒に生きているんです」と話すナディさん
「異文化ルーツを持つ子どもたちも、ここに一緒に生きているんです」と話すナディさん

 6歳の時に日本へ移り住んだイラン人女性が、自身の半生を一冊の本にまとめた。言葉や制度、アイデンティティーの迷いといったいくつもの壁に直面しながら、「自分のふるさとは日本」であると確信していくさまがつづられている。その軌跡は、この国に住む外国にルーツのある人たちが、同じ社会に生きる一員である事実を鮮やかに映し出す。

 タイトルは「ふるさとって呼んでもいいですか 6歳で『移民』になった私の物語」(大月書店、1728円)。著者のナディさん(34)は首都圏近郊に住むエンジニア。1991年、両親と幼い2人の弟と来日した。イラクとの戦争が終結したばかりの当時、イラン国内の経済は悪化。父の店も経営難に陥り、一家は出稼ぎを決意したのだった。

 観光ビザで入国し、来日11年目で在留特別許可を得るまで、超過滞在のまま過ごした。いつ強制送還になるか分からない不安定な日々。「一寸先は闇。真っ暗な中でも前向きに生きようとしたその姿を知ってほしかったんです」とナディさんは語る。

 日本語が一切話せない中で始まったここでの暮らし。「イラン人は悪いやつだから国に帰れ」「外国人と遊んじゃだめよ」。心ない言葉も浴びたが、数え切れない支えも受けて今の自分がいる。

 ひらがなを教えてくれた近所のおばちゃん。「親友」と認め合った友達。日本の教科書には載っていないイランの魅力をたくさん伝えてくれた、外国にルーツを持つ子をサポートする団体の学生たち。

 「あなたなら大丈夫」。「外国人」とひとくくりにせず、一人の隣人として接し、肯定してくれたあまたの存在に救われてきた。

 次第に、二つの国のはざまで心が揺れるようになる。日本語の読み書きと会話ができるようになっても「私はいつまでも『ガイジン』なのか」。こう自問する一方で、よそ者扱いをされる度に「私はイラン人だから」と自分に言い聞かせた。

 だが、11年ぶりにイランに一時帰国すると微妙な居心地を覚えた。既に日本の文化、習慣に慣れていたからだ。「私は日本人じゃないけど、イラン人でもなかった」。落胆は深かった。


「ふるさとって呼んでもいいですか 6歳で『移民』になった私の物語」表紙
「ふるさとって呼んでもいいですか 6歳で『移民』になった私の物語」表紙

 自分が何者か分からない「アイデンティティーの迷路」の中で、少しずつ「自分」をつかんでいく。大学時代に働いたカフェは「何人(なにじん)」などと意識しないスタッフばかりだった。入社して11年目になる今の勤め先も、入社面接の時から、他の多くの初対面の人のように日本語が話せない相手だと決めつけてくることはなかった。

 「イラン人か日本人。どちらかの枠に自分を当てはめようとしていた自分の間違いに気が付いたんです」。「アイデンティティー問題」に終止符を打ったナディさんは今、自身を「イラン生まれで日本育ち。中身はほぼ日本人のイラン系日本人」だと胸を張る。

 アルバイト先を探していた大学時代、外国人という理由で面接もせずに採用を断られたこともある。今、日本ではさまざまな国や地域にルーツのある人が飲食店などで働くが、流ちょうではない日本語を嘲笑(ちょうしょう)され、偏見の目を受けている現実も少なからずある。

 「異文化ルーツの子たちは『外の人』ではなく、この社会に共に暮らす一員だと伝えたい」。自著にこの思いを載せたナディさんは、最終章をこう締めくくった。

 「『日本人らしい日本人』や『外国人らしい外国人』だけの時代はもう終わろうとしています。私たちは、見た目や国籍を超えて、同じ社会でともに生きています。私のふるさとも、ここ日本です」

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