最期という漢字は「死に際」を意味します。
必ず訪れる死に際ですが、いったいどのような最期を小生は送るのでしょう。それがいつ、どこでか、分からないのが人生というものですね。
小生にももちろん立派な父親がおりました。でも、小生は父と遊んだ記憶があまりないのです。抱っこされた記憶も、語り合った記憶もありません。キャッチボールを教えてもらった記憶がかすかにあります。怒鳴られた記憶、びくびくしていた記憶はたくさんあります。そうですね、怖い人でした。厳しかった。
「人に迷惑をかけるな」「人のものを欲しがるな」「手に職を持て」この3つを教えてくれました。小生が記憶している父の言葉です。威厳の塊で、家の中をのしのしと歩いていました。小生と弟はこそこそ逃げ回っていました。日曜日が嫌いなのは父が家にいたからです。
反面教師といいますか、小生が自分の息子とたくさん語り合うのは自分がして欲しかったこと、だからです。息子とバレーボールをするのも、息子と2人旅をするのも・・・。
でも、この頃、父を再評価しています。
まず、いまの自分が生きていられるのは父のおかげであること。目に見えない労苦を、父はたくさん背負っていたであろうこと。
そして、彼の最期です。
父は猛烈社員でしたが、ライバルに敗れ、最後は窓際族でした。一時は社長になるか、とも言われていた人でしたから、母に言わせると悔しい晩年であったろうということです。そういう弱いところを家族には見せない人でした。老いた父はいつもニコニコしておりました。
息子が作家になったことがうれしかったみたいで、近所の本屋に通い詰めていたと聞きました。でも、そういうことを知らない小生は父が嫌いでした。思えば、家族をみんな敵にしていた時期が長すぎました。だから逆に、寂しかったろうな、と思います。
父は重い病気にかかり、入院をします。
看護婦さんと仲良くしている、と母から聞いて安心しておりました。でも、長くはないだろう、ということでした。そして、ある朝、ご飯を食べ、トイレに行って、全てを水に流した後、そのまま永眠したのです。きれいさっぱり、誰にも迷惑をかけず、逝っちゃったわけです。
家族にあまり好かれていない父でしたが、彼の死後、彼には多くのファンがいたことが分かりました。小生や弟や母親が驚くほどの人たちが父のために集まり、そして彼がどんなに愛らしい人だったのかを語り、泣くのです。信じられないことに、泣き崩れている人さえいました。残された家族はきょとんとしていました。
外面がいい人だったのでしょうか? それともそれが彼の本当の素顔だったのか・・・。
時が経ち、憎めない人だったのかもしれない、と思うようになりました。火葬の後、ごろんごろんと大きな骨が出てきました。私は不謹慎にも思わず笑ってしまったのです。母も目を丸くして、あら、大きい、とうなっておりました。
◆今日の後始末。「親のことを有難く思える自分に有難く」
辻仁成
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