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亡き母の魂、舞に込めて  劇団「態変」の金満里が来月ソロ公演

カルチャー | 神奈川新聞 | 2019年1月30日(水) 09:23

1998年に大阪で上演した「ウリ・オモニ」(劇団「態変」提供)
1998年に大阪で上演した「ウリ・オモニ」(劇団「態変」提供)

 「身体障害者にしかできない身体表現」を生み続ける劇団「態変(たいへん)」(大阪市)主宰の金満里(キム・マンリ)(65)が2月、東京でソロ公演を行う。タイトルは韓国語で「私のお母さん」を意味する「ウリ・オモニ」。横浜に研究所を構えた世界的な舞踏家、故大野一雄監修の同作の舞踊に、韓国古典芸能の伝承者だった亡き母の魂の継承を込める。

 母の名は金紅珠(キム・ホンジュ)。韓国・釜山生まれ。6歳で初舞台を踏み、古典芸能全般で活躍した芸人だった。1935年、20代の頃に朝鮮半島から日本へ渡り、大阪に一座を結成。戦時下、炭鉱で強制労働を強いられた朝鮮人が暮らす地域に巡業の旅に出ては、祖国の伝統舞踊を披露した。

 「当時は日帝時代。そこで朝鮮文化を貫き通して日本中を巡業した気骨の人」と母を評する金は、10人きょうだいの末っ子として大阪で生まれた。幼い頃から踊り好き。「将来は跡取りに」と期待されたが、3歳でポリオを発症。後遺症で全身が麻痺(まひ)する重度の障害者となった。


「どんどん遠くなっていく母ともう一度対話をする。それで今の私やこの世界が見えてくると思うんです」と語る金満里=東京都内
「どんどん遠くなっていく母ともう一度対話をする。それで今の私やこの世界が見えてくると思うんです」と語る金満里=東京都内

 7歳で肢体不自由児の施設に入所し、そこで10年を過ごす。その後は障害者の権利を訴える運動に身を投じ、やがて活動は表現の場へと移った。「障害そのものを表現力に転じ、未踏の美を創り出す」との決意で83年に「態変」を旗揚げした。

 一貫して芸術監督を務める。劇団と自身のソロを合わせ70作以上を手掛け、自身も出演する。

 大野との出会いは25年ほど前、ワークショップで共に講師を務めたのがきっかけだった。金は「自分の肥やしになるものにしか反応しない人。会ってみて非常に面白かった」と回顧する。「引かれる身体に吸い寄せられるようだった」。「態変」で最重度の障害がある、寝たきりのパフォーマーに同化するようにひっつく大野の姿が忘れられないという。

 「自分は大野一雄を見られた最後の世代。彼の舞踏の追っかけをしに東京にも横浜にも行った」。そこで最も感銘を受けたのが女装のソロだった。「いいものばかりではない、エゴも含んだ女性の内面が表現されていた。これを超える『女の舞』を女として踊りたいと思った」。それは聖母のような慈悲深い姿を求められがちな「女性」や「母」の本質をあぶり出したい、との欲求でもあった。

 まだソロを演じたことがなかった金だが、86歳で母が亡くなりその決心がついた。大野と次男慶人に監修と振り付けを依頼して誕生したのが「ウリ・オモニ」。98年に英国エディンバラで初演し、今回、東京では20年ぶりの上演となる。

 チマ・チョゴリの上に白く長い衣装を羽織って舞う荘厳な韓国舞踊「僧舞(スンム)」を自分なりに演じる。母は僧舞の優れた演者だった。

 「古典の母」への反発心も胸に秘めつつ「態変」での前衛的な表現を追求し続けてきた金だが、自分の身体表現の中には「母のエッセンスが脈々と生き続けている」という。「自分が年を重ねることによって、母という存在がある意味遠くなっていっている」中で、古いものが再生される、そんな舞台を見据えている。

 「死者から語り掛けられること、こちらから語ることが、自然に出るような気がしていて。それをもう一度聞いてみたいんです」

 2月8~11日。8日は午後7時、9~11日は同2時開演。会場は下北沢ザ・スズナリ(東京都世田谷区)。前売り4千円、当日4500円ほか。問い合わせはザ・スズナリ電話03(3469)0511。

 
 

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