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県立歴史博物館「井伊直弼と横浜」展
井伊直弼の銅像 建立当時のいきさつとは

文化 | 神奈川新聞 | 2020年3月2日(月) 20:41

藤田文蔵「井伊直弼銅像」。1909年に掃部山公園に直弼像を建立した際、制作過程で作られたもの=県立歴史博物館
藤田文蔵「井伊直弼銅像」。1909年に掃部山公園に直弼像を建立した際、制作過程で作られたもの=県立歴史博物館

 横浜市西区の掃部山(かもんやま)公園に立つ彦根藩主・井伊直弼の銅像について、約150件の資料を通して紹介する「井伊直弼と横浜」展が、県立歴史博物館(同市中区)で開催中だ。建立当時のいきさつと、銅像が横浜でどのように受け入れられてきたのかが見えてくる。

 1860年旧暦の3月3日、節句の祝いのため江戸城へ向かう大老、井伊直弼の一行が水戸、薩摩藩の脱藩浪士らに襲われた。直弼をはじめ多くの死傷者を出した「桜田門外の変」だ。季節外れの雪が降り積もる中での惨劇とあって芝居などによく取り上げられる。会場には錦絵が並ぶ。

 直弼は、「安政の大獄」では幕府に反する活動を行った者たちを厳しく取り締まった一方、日米修好通商条約を結び、開国へ向けて大きな役割を果たした。開港によって発展してきた横浜には、ゆかりの深い人物といえる。

 直弼の人柄を知る旧彦根藩士を中心とした人々は、桜田門外の変による負のイメージを拭い去りたい思いがあり、銅像建立による直弼の復権を企画した。

 横浜正金銀行の頭取を務めた相馬永胤(ながたね)もその一人。東京に近く、発展を続ける横浜を建立の地に定め、県知事や横浜市長を訪問して相談していた様子が日記からうかがえる。


左手前は2代目の直弼像を手掛けた慶寺丹長による頭部の像=県立歴史博物館
左手前は2代目の直弼像を手掛けた慶寺丹長による頭部の像=県立歴史博物館

 一度は反対されたが、直弼の死から約50年を経た1909年に直弼像が建立された。彫刻家の藤田文蔵が銅像を、台座は横浜正金銀行本店(現、県立歴史博物館)を設計した妻木頼黄(つまきよりなか)が手掛けた。

 戦争中は金属供出に応じて撤去されたが、54年の開国100年祭に再建。鋳金家の慶寺丹長(けいじたんちょう)が2代目の銅像を制作した。

 桜の名所に立つ直弼像は横浜らしい風景として市民らに親しまれ、崎陽軒の弁当の掛け紙や鉄道のパンフレットなどに印刷された。同博物館の小井川理(あや)学芸員は「直弼本人ではなく、直弼像というモニュメントとして付き合い、親しんでいく距離感が興味深い」と話した。

 22日まで。月曜休館。一般900円ほか。20日は観覧無料。問い合わせは同館☎045(201)0926。

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