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横濱連合婦人会館史が記す女性たちの社会活動

文化・科学 | 神奈川新聞 | 2021年9月21日(火) 19:08

フォーラム南太田で見つかった「横濱婦人会館史」

 記録は「婦人会館史」などと記された2冊の冊子。合計で原稿用紙150枚に、横浜の複数の女性団体が連携して社会活動を行った「横浜連合婦人会」の活動内容や、運営のための規約、会員の回顧録などが記され、「昭和18年1月」の日付けがあった。2019年に同館内の本棚で見つかったという。

 記録によると、女性たちのまとまった社会活動は、1915(大正4)年に市内でそれぞれ活動していた婦人団体が大正天皇の即位を祝うため「旗の日会」として集結したことに始まる。胸に着ける小さな徽章(きしょう)を国内外で販売、多額の収益を挙げて横浜市や横浜貿易新報(神奈川新聞の前身)の社会福祉部門などに寄付された。

「横濱連合婦人会館」の開館式の様子を伝える1927年5月8日付の「横浜貿易新報」。当時の横浜市長らが出席した

 さらに、23年9月1日に関東大震災が発生したことで、各婦人団体が連帯した活動組織「横浜連合婦人会」が発足。困窮する人に食品や衣類を配ったり、職を失った女性に内職をしてもらって賃金を払うなど、被災者の救護や復興事業に携わった。

 支援を通じ、各団体が痛感したのは活動の拠点となる「会館の必要性」。そのため震災1周年を機に会館設立を計画し、24年から「一口10銭」で市民に寄付を募る募金運動を開始。連合婦人会の会長を務めた渡辺たまは自ら高額な寄付を行い、銀行から資金の一部の融資も受けたという。会館は27年5月7日、横浜市中区の紅葉坂に開館。式典の様子は翌日の横浜貿易新報でも記事化された。

 女性が自由に動くことが簡単ではなかった時代。フォーラム南太田館長の小園弥生さんは「時代背景を考えると、女性が社会活動をすること自体が斬新で、相当珍しかったはず」とする。明治の貿易商・渡辺福三郎の妻で横浜を代表する社会事業家だった渡辺たまのリーダーシップも大きく、「現代でもここまでできるリーダーは少ないのではないか」と話す。

1927年5月9日付の「横浜貿易新報」には、「婦人会館の任務」として女性の社会活動を期待する寄稿が掲載された

 横浜連合婦人会は社会が戦時体制に向かっていた36年に解散し、建物や土地などは市に寄贈された。戦時中は旧日本軍が使用、戦後はホテルとしても使われ、52年に返還。「横浜市婦人会館」として再出発した。78年、老朽化のため同市中区から南区に移転し、現在はフォーラム南太田になっている。

活動の先導役だった渡辺たま(渡邊俊郎氏提供)

 同館では冊子の書籍化を進めており、インターネット上でも原文の公開を予定している。同館の石山亜紀子さんは「女性が連帯して社会を動かすことはこれからの時代にも求められる。こんな風に社会を変えていける、というロールモデルになるのでは」と期待する。

 来年3月10日まで、「横濱婦人会館史」の書籍化・アーカイブ化の寄付を募っている。今年11月末までに寄付した人のうち希望者の名前を書籍に掲載する。問い合わせは、同館、電話045(714)5911。

 
 

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