【2021年3月26日紙面掲載】
呪文を記した木札(呪符)や土地の神を鎮めるために埋めた器など、鎌倉市内の出土品を中心に55点を展示。暮らしの中で自然災害や病に直面した中世の人々が、まじないで邪気を払った様子を解き明かしている。
鎌倉で本格的に陰陽道(おんようどう)が広まったのは3代将軍・源実朝の頃で、京都から陰陽師が下向し、呪符や形代(かたしろ)(身代わりの人形)を用いる祭祀(さいし)を行って人々を守った。
特に人々を悩ませたのは天然痘や赤痢などの感染症で、こうした疫病は古代から鬼や魔物の仕業と考えられてきた。若宮大路の東側で、現在の雪ノ下郵便局辺りにあった北条泰時、時頼の邸宅跡の側溝からは、「蘇民将来子孫家也急々如律令(そみんしょうらいしそんのいえなりきゅうきゅうにょりつりょう)」という魔よけの呪文を書いた呪符が発見されている。
上部にくぎ穴があり、北条氏が屋敷の入り口に魔よけの札を打ち付けていた可能性があるという。
鎌倉歴史文化交流館:4月17日まで。日曜・祝日休館。一般300円ほか。鎌倉駅徒歩7分。問い合わせは鎌倉歴史文化交流館、電話0467(73)8501。