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戦争と郵便
手紙に込められた人々の思いに迫る

文化 | 神奈川新聞 | 2020年12月11日(金) 19:33

 戦後75年を迎えた今年。戦争を知らない世代がほとんどとなった。12月8日の太平洋戦争開戦日を前に、戦時中に交わされた手紙を通して戦争を振り返る本「戦後75年・手紙が語る戦争の記憶 戦争と郵便」(切手の博物館、1760円)をひもとき、当時の人々の思いに迫る。

小学1年から切手収集を始めた森下さん。著書を手に「日本の近代は戦争の時代でもあった。命を懸けて国を守った人々がいたことを知ってほしい」と語る=切手の博物館(東京都豊島区)

 同書は日本郵趣出版の編集本部長、平林健史さん(67)が「郵便という人と人を結ぶものが、戦争とどう関わったのか」を考える上で、軍事郵便を主な切り口として企画。3人の収集家、森下幹夫さん(63)、片山七三雄さん(60)、玉木淳一さん(64)が執筆者となり、本にまとめられた。

 一般の人が関心を持ちやすいように、郵便物としての希少性より、書かれた内容に焦点を当てている。

 軍事郵便は、1894年の日清戦争から、太平洋戦争が終結した翌年の1946年まで、勅令によって設けられた特別な郵便制度。戦地から内地、戦地から戦地へは無料、内地から戦地へは国内料金で差し出すことができ、軍人、軍属と、残された家族らを結んだ。

❶1943年4月17日にビルマから出されたはがき。東京の荻窪郵便局が修復し、6月22日に届けた
❷1905年3月10日の消印、清国・牛家屯から東京宛て。最後は祖母や母のいうことを聞いて、勉強するようにとつづる

 ❶は戦地ビルマから出されて2枚に破れたはがきを、丁寧につないで配達したもの。補修した旨を伝える付箋が表に貼ってある。

 森下さんは「家族が安否を知ることができるのは、郵便物しかなかった。何が何でも運ぶんだという強い気持ちが伝わる」と話す。

 ❷は05年、日露戦争中の清国で戦う父親が子どもに宛てたはがき。「今日は奉天がを(陥)ちて御めでたう」と奉天会戦での勝利を伝える。

❸1905年5月30日の消印、清国・營盤から神戸宛て。日本海海戦は5月27日

 ❸の手紙は同年、日本海海戦でのロシアのバルチック艦隊との戦いを「波(バルチック)艦隊は本日対馬海峡ニ於て我が艦隊に要撃せられ」と生々しく伝える。こうした軍事郵便は地方に行くと大量に残っているが、いずれは処分されてしまうだろう、と2人は口をそろえる。

 戦地からの手紙やはがきは検閲され、米軍に解読されることを恐れたため、差出人の住所もなく、所属部隊名も暗号で書かれた。

➍「ビルマ婦人、河にて水浴する姿 御紹介します」。1943年7月3日に受け取った書き込みが表にある

 そんな中、異国の風情を伝える少しのんびりしたはがきも残る。➍はビルマからの、手描きイラストで彩られたはがきだ。

 戦争は戦地だけで起こっているものではない。国内の暮らしぶりも、郵便から伝わってくる。

 ❺は小学校の児童らが「支那派遣軍」に所属する兵士宛てに送った慰問の便り。内地からの兵士への励ましの便りは、「銃後の務め」として日中戦争以後は特に奨励された。

 ➏は38年の消印で「国民精神総動員」との標語印が押されている。当初は郵便や保険に関する標語が使われていたが、37年以降は戦争を意識した標語印によって、戦争体制を国民に強く訴えていった。

 「知識として戦争があったことは分かるが、現物が残っている手紙には、当時の人々の考えや感情が込められている」と平林さん。手紙というタイムカプセルから、戦争に翻弄(ほんろう)された人々の思いが伝わってくる。

❺見知らぬ「兵隊さん」宛てに送られた慰問の便り。1939年7月(一部画像を加工しています)
➏「国民精神総動員」の標語印。1938年

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