
新型コロナウイルスの影響で主催事業を休止していたKAAT神奈川芸術劇場(横浜市中区)が今月、音楽劇の上演をもって再びその幕を開ける。原作は宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」(1934年刊)。演出の白井晃=KAAT芸術監督=は「コロナ禍だからこそ、人の心を癒やし動かす芸術の創造を諦めたくない」と語る。
銀河のほとりを走る汽車で旅する孤独な少年ジョバンニと、親友のカムパネルラ。「ほんとうの幸い」を探すため、どこまでも共に進もうと決意する。しかし、その汽車は死者の魂を天上へと運ぶものだった。
「人間への愛情、死生観、場所に対する思いやり、理想郷といったものを描いてきた賢治の代表作を、劇場の再開に合わせて演じる意味は大きい」。白井が感慨深げにこう話す。
「彼の詩や小説は読み手の想像力を喚起する上、人との関わりについて考えさせてくれる」。コロナ禍で心が萎縮した人々が、そうした芸術に触れる営みを求めている。こんな思いが白井の胸中にある。
4月の緊急事態宣言に伴う県の要請で劇場は活動を休止。予定していた自主事業公演の多くが中止や延期を余儀なくされた。いまだ収束の兆しが見えない中、白井は「ウイルスという見えない恐怖を前に心が縮こまっている。自粛の名の下に、感情を抑え込むことに慣れてしまうのが怖い」。
コロナ禍でコミュニケーションの在り方が変わった。仕事においても対面しないリモートでのやりとりが定着。「人は無意識のうちにネットワークの虜(とりこ)となり、システムの中で管理された状態になっている」。一抹の懸念を拭えない白井は、この状況下だからこそ、劇場が存在する意味に思いを巡らす。
自分で時間を作り、劇場に足を運び、自らの意思でその場と時間を共有しに行く。生の舞台で俳優の呼吸に触れて「今、自分がこの瞬間を生きていると実感できる」。これこそが演劇の特性なのだと白井は言う。ネットワークの渦に取り込まれない、「個」としての自分を認められる空間が劇場にあるとの確信だ。
だからこそ、感染対策のため集客が従来の半数になるといった制約がある中でも、「表現を続けることを諦めてはならない」との決意を新たにする。「劇場文化が衰退することがあるならば、残された自分の演劇人生をささげる思いで守り抜きたい」
「銀河─」は1995年、東京・青山劇場の開館10周年記念事業で上演、演出した思い入れの深い一作だ。「25年前に得た感覚を、今の自分でもう一度対峙(たいじ)したいと思った」と再び向き合う本作は「言葉にならない賢治の詩情」を音楽の力で膨らませていく。
「相手の気持ちを思いやることで自分も生かされる。作品の背景に流れる賢治のこの思想を、音楽とともに浮かび上がらせたい」
観客は賢治が夢見た幻想空間の中で、「ほんとうの幸い」を問い続けるジョバンニと共に、自らの感情を呼び覚ますことになる。「心を動かさないことに慣れてはいけない」─。白井自身の揺るぎない思いが、新たな幕開けの舞台に込められる。
音楽劇「銀河鉄道の夜2020」
20日~10月4日(9月23、24、28、29日、10月1日休演)。出演は木村達成、佐藤寛太、宮崎秋人、岡田義徳、さねよしいさ子ら。料金は7500円、5千円ほか。問い合わせはチケットかながわ、電話(0570)015415。
KAAT音楽劇「銀河鉄道の夜2020」今月上演
[写真番号:339585]
「劇場に足を運び舞台芸術に触れる。この積み重ねと記憶の蓄積が、自己を形づくっていく」と白井晃=横浜市中区(撮影・立石 祐志) [写真番号:339605]