国はヘイトスピーチを規制する法律をつくるべきだ-。東京都国立市の市議会が人種差別を禁じる法整備を求める意見書を国に提出した。提案者の上村和子市議(59)は「誰もが安心して暮らせるよう、地域から声を上げていくのは当たり前で、地方議員の務め。ほかの地方議会にも続いてほしい」と話す。
国連の人種差別撤廃委員会がヘイトスピーチを規制するよう日本政府に勧告したのは8月下旬。意見書提出に迷いはなかった。
「ヘイトスピーチは人権侵害であり、差別は表現の自由には当たらない。国連の勧告はまっとうなもの。意見書だって特別な内容じゃない。マイノリティーが安心して暮らせなければ、誰もが安心して暮らせるまちにならない」
上村さんが案文を練り、議長を除く市議20人のうち19人が署名欄に名前を連ねた。「私は1人会派だが、自民も公明も共産も関係なく賛同した。少子高齢化を迎え、誰もが社会的弱者になり得る時代、国立市が『誰も排除しないまちづくり』を掲げていることもすんなり採択できた背景になった」
それが必ずしも当たり前ではないと、すぐに気付いた。ヘイトスピーチ規制を求める「全国初の意見書」とNHKで報道されるや抗議の電話が市役所にかかってくるようになる。3日間で50件。過去にない事態だった。
予感はあった。
弁護士の師岡康子さんを講師に「ヘイトスピーチとは何か」と題した学習会を公民館で開いたのは、その1カ月前。裁判で不法行為と認定された京都朝鮮第一初級学校への差別街宣を収めたDVDを見た。「ゴキブリ朝鮮人は朝鮮半島へ帰れ」「保健所で処分しろ」と叫ぶ男たちの姿に上村さんは思った。
「一部の過激な人がやっているといった遠い世界の話ではない。問題はこれを許容する社会か否か、だ。差別を下支えする空気にこそ目を向けなければ」
■殺すを止める
抗議する人が意見書の全文に目を通しているようには思えなかったが、ほとんどが「特に在日韓国・朝鮮人(コリアン)への人種差別的デモ・集会をする団体によるヘイトスピーチのまん延」という一文に怒りをぶつけてきた。
自宅にもかかってきた。受話器を取ると女性だった。
「在日は日本の国旗を侮辱して、従わない。もっと好かれる努力をすべきだ」と言う。上村さんが友人として知る在日コリアンからは遠く離れた在日像。少なくとも死ね、殺せというのは問題ではないかと聞き返すと「嫌われても仕方ない。在日は税金を払っていないじゃないか」と脈絡なくまくしたてた。
「在日の人も税金は納めている。議員である私が言っても、この女性は一円も払っていないと言い張る。税金を払っている自分は被害者だ、と」
いわゆる「在日特権」としてインターネット上に流布し、ヘイトスピーチの現場でもよく聞かれるデマ。事実無根のうそをうのみにし、自らを虐げられた位置に置き、一方的に憎しみを肥大化させていく人たち。上村さんはゆがんだ被害者意識の背後に差別を正当化する蔑視の闇をみる。
「差別されて仕方のない在日が優遇されているのが許せない、という非常に激しい感情だ」
そして思った、という。「この人は時代が時代になれば在日コリアンを殺すだろう。人を殺すには、殺せる自分にならないといけない。ヘイトスピーチを許容するということは、在日は差別されようが、何を言われようが、何をされようが構わないということだ。いま語られているのは、殺すための理由なのだ」
安倍政権による集団的自衛権の行使容認に危機感を覚え、地方議員の一人として異を唱えてきた。戦争ができる国への歩みはしかし、足元の地域から始まっているのかもしれないとさえ思う。
■人の心動かす
蔑視に基づく「在日はわきまえろ」「好かれる努力をしろ」の叫び。「つまり日本人に同化しろと要求している。そう言う人はその場の空気にすがるように合わせて生きているのだろう」。いまに生きる人々の悲鳴に聞こえなくもない。「誰かに死ね、殺せという人は自分の命を慈しむこともできないだろう」
地方議員だから、地域で生活に困窮した人たちと向き合う。老いや病気、失職をきっかけに転落はたやすい。
「自分こそは多数派だという幻想にとらわれている人がヘイトスピーチに走るのだろう。誰もが社会的弱者になり得るし、自分も少数派だと自覚できれば助け合い、支え合うことができるのに。しかし、落後の不安が逆の方向へ駆り立てている」
では、どうすれば。
いま、恐怖感がある。
「ヘイトスピーチをする一団が自分のところにも来たらどうなるだろうと考えるようになった。マイクの大音量に一人でも反論できるだろうか。だが、不安だからこそ発言を続けなければいけないと思う。そうして共感する仲間を一人でも増やしていくしかない」
言葉で人の心を動かすのが政治家の仕事だから、その力を信じる。
「意見書を出し、抗議を受け、問題の深刻さが見えてきた。思っていた以上にこの意見書には意味がある。だから、国会議員には重く受けてほしい」。そして、呼び掛ける。「意見書に限らなくてもいい。ほかの地方議会でも同じ思いを持つ議員に出てきてほしい」
〈ヘイトスピーチを含む人種及び社会的マイノリティーへの差別を禁止する法整備を求める意見書〉
国連人権差別撤廃委員会は8月29日、日本政府に対して、ヘイトスピーチ(憎悪表現)問題に「毅然(きぜん)と対処」し、法律で規制するよう勧告する「最終見解」を公表しました。
日本が1995年に加入した「人種差別撤廃条約」では、参加国で差別が行われていないか、一定の期間を置きながら、国連の人種差別撤廃委員会が審査してきました。
今回の「最終見解」は、日本への審査の総括として、同委員会が8月29日に採択したものです。最終見解は、日本のヘイトスピーチの状況にも言及しており、特に在日韓国・朝鮮人(コリアン)への人種差別的デモ・集会をする団体によるヘイトスピーチの蔓延(まんえん)や、政治家・公人によるヘイトスピーチが報告されたことや、メディアでのヘイトスピーチの広がりなどについて、懸念が表明されています。さらに、そうした行為が適切に捜査・起訴されていないことも、懸念点だとしています。
こうした懸念状況に対して、最終見解は、ヘイトスピーチを規制するための措置が、抗議する権利を奪う口実になってはならないと指摘するとともに、「弱者がヘイトスピーチやヘイトクライムから身を守る権利」を再認識するよう指摘しました。
そして、人種及び社会的マイノリティーへの差別的な表明や差別的暴力に断固として取り組むことや、メディアのヘイトスピーチと闘うため適切な手段をとること、そうした行為に責任のある個人・団体を訴追したり、ヘイトスピーチをする政治家・公人に制裁を科すことなどを、政府に勧告しています。
一刻も早く人種差別撤廃委員会の31項目の勧告を誠実に受けとめ、ヘイトスピーチを含む人種及び社会的マイノリティーへの差別を禁止する新たな法整備がなされることを、国立市議会として強く求めます。
【神奈川新聞】